夢路を辿りて
第2話 永遠のレモンティ
光彦が逆光に映るそのふたつの人影を、目を凝らして確認しようとした時だった。
「橘くん?やっぱり橘くんね。」
「はい?」
表のシルエットからは、そう呼ぶ声が聞こえて来た。店の中にいる光彦を見て「橘くん」と呼んだその声は、明らかに女性の声であり、その声はとても耳に心地よく懐かしいものだった。そしてそのふたつのシルエットが、店の入口を一歩跨いだ時、光彦には、それが誰かすぐに分かったのだが、それでも半信半疑だった。
「千穂子…さん?」
「うん。私です。」
それは光彦が思ったように、彼の初恋の人である桜井千穂子だったのである。
「タチバナ画材店ってあったから、もしかするとと思ってお店の中を覗いてみたの。」
「それにこの子が、いま通っている絵画教室の筆が、もうダメになったって言うから。」
「そうだったんですか。で、そのお子さんは?」
「ああ、私の孫なのよ。お互いにもうそんな歳だもんね。」
そう言うと千穂子は、昔と変わらない笑顔を見せて笑っていた。それを見た光彦は、少し照れたような笑いを浮かべながら、千穂子に連れられていたその少年を手招きすると、筆の置いてある店の中へと案内したのである。
少年がそこに置いてある、いろいろな筆を確かめている間ふたりは、店のレジの側に置いてあるソファに腰掛けて、懐かしく話しをしたのだった。
「あれからもう随分経ったけど、その後、お変わりありませんでしたか?」
「千穂子さん、クラス会にも一度も顔を出さなかったし、仲の良かった子に聞いても音信不通だと言うし…」
「そうだったわね、ごめんなさい。」
「私ね、大学を卒業すると、直ぐにヨーロッパの方に留学して、それから帰国すると、その時に知り合った人と結婚したの。」
「それからというもの、日本とイギリスを行ったり来たりで。」
千穂子は少し戸惑ったように、そう話すと、テーブルに出されていた紅茶を口にした。
光彦はそんな千穂子が見せた、軽い戸惑いを感じはしたが、気にしないで話しを続けた。
「そうだったの…、それで今ご主人は?」
「うん。娘と一緒に東京の学会に出席していて、それなら折角だから一度あの子にも、私の育ったところでも見せてあげようと思って、それでこちらに。」
「あちらではヒロシマ、ナガサキって、いろいろと話題に上がるから。」
「でもこの辺りも変わってしまって、私が住んでいた処、いまでは駐車場だもの。嫌になっちゃうわよね。」
「ところで橘くん、ご家族は?」
「ああ、あなたと同じように娘に孫にと、もうそれなりだよ。」
そんな話しをしていると、それまで筆を見ていた少年は、数本の筆を持ってやって来て、千穂子の横にちょこんと座わると何か耳打ちしていた。