夢路を辿りて
口数の少ないあの学生とは、光彦が、店からは少し離れたところにある土手を散歩している時、たまたま絵を描いているところを見かけ、そのとき青年が描いていた場所が昔、光彦が気に入って何度も描いた場所だったことから、何気なく声を掛けて知り合ったのだが、光彦にはそんな青年の描くタッチや色使いが、とても他人のようには思えなくて、それ以来、あの青年には格安で画材を提供していたのである。
そんな彼が、今日はどうしても描かなくてはならない題材があると言って、そのために必要な絵の具を至急入荷して欲しいと、光彦は頼まれていたというわけなのだ。
光彦が店を開けてからは、いつものように古いステレオにスイッチを入れ、自らが調合したマンダリンのブレンドコーヒーを飲んで、のんびりと過ごしていると、やがて時計は正午の時を刻んだが、それまでに光彦の店にやって来た者といえば、相も変わらず、この店を文房具店と間違えてやって来たお客と、絵画教室に通っている、お馴染みのお客の数人しかなかった。
しかし退屈だからといって、光彦があのとき筆を置いてからは、もう二度と筆を取ることなどもなく、店の中でこうして音楽を聴いて、コーヒーを飲み、タバコを吸いつつ、近所の子どもたちが声を掛けてくれるのを、ただ待っているだけであった。
いつもなら昼食を済ませると、光彦は一度店を閉めて、あの土手までのんびりと散歩をするところなのだが、光彦が店を閉めようと立ち上がって振り向くと、店の前には大人と子どもらしき人影が立っていたのだ。