夢路を辿りて
そして手紙にはこのように書いてあった。
前略
この度は息子が大変にお世話になりました。
思えばあの子が小さな頃に、わたくしが話したあの子の父親との想い出話だけで、あの子は一度も見たこともない父親を慕うかのように、自分が父の夢だった画家になるのだと芸術大学にまで通った訳ですが、世間というものはそれほど甘いものではないと痛感し、この地へと戻って参りましたところ、奇遇にも貴方様と出会い今回の結果。
聞けば貴方様がこれまで、息子が密かに続けていた絵の手助けや相談等、いろいろな面でサポートして下さったとか。そして今回、ひょんなことから海外で賞を頂いた上に、何やらあちらの画廊との契約も勝手に済ませてしまったようで、いつしかわたくしの及び知らないところで、あの子の夢だった画家への第一歩を踏み出すに至ったようでございます。
この1週間のうちには、表彰を受けるためフランスの方へと旅立つのですが、同時に画廊との契約や勉強のためにと、そのままフランスの方で暮らすことに決めたようで、その時わたくしも一緒に行くようにと言われております。
それにしても人生というのは不思議なこともあるものですね。
先日あの子が貴方様の描かれた絵を見たらしく、その絵がこの度の応募で搬入した自分の絵と瓜二つだったと聞きいたのでございますが、その絵と言うのは、実はあの子が、私を描いたものらしいのでございます。それにその時お店の方で流れていた曲が、わたくしの想い出の曲と同じだったとも言っておりました。
それでわたくしは、息子と同じ絵を描かれ、わたくしの想い出の曲と同じものを聴いていたという、貴方様のお名前を聞いて、それはもう驚いたのでございます。
あの子がフランスへ発つまでに、一度は貴方様の下へとお伺いすると思いますが、わたくしはその時、あの子にいろいろと訊ねられましたが、何も話してはおりませんし、この後も何も話さないつもりでおります。勝手なお願いとは解っておりますが、できることなら貴方様も何も話すことなく、ただあの子の未来を見守ってくださればと思い、こうして筆を取った次第でございます。
『幾年の 夢路辿りて行き着くも 今は昔か泡沫の刻』
こう貴方様は最後に詠んで下さいましたね。その後お身体は変わりございませんでしょうか?
いつまでもお身体の方大切にして、お元気であられますように…。
かしこ