恋の掟は春の空
教会の中のその灯り
祭壇まで、歩くことにした。
直美は右を見たり、天井を見たりでいそがしそうにしていた。
ろうそくがなぜか灯っている祭壇の前に来ていた。
「イエス様と マリア様だね・・」
「うん、たしか、カトリックだからね・・聖母マリア像があります」
「へー そうなんだ」
小さい時に言われたことだからちょっと自信はなかったけど、たしかそのはずだった。
「信者の方ですか・・」
右手から静かに声をかけられていた。人が奥にいたのは全然気が付いていなかった。少しびっくりしていた。
「えっと、・・子供の頃よくここで遊んだものですから・・黙って入ってしまいました。すいません」
「いえ、結構ですよ・・どうぞお祈りを捧げてください」
日本人の若い神父さんだった。
「は、はぃ」
あわてて手のひらを組んでお祈りを捧げていた。あわててたから、なにも語りかけることなんか浮かばなかったけど・・。
直美も隣で手のひらを組んでいた。
「大変失礼なのですが、まもなく聖堂のドアを閉めさせていただきます・・よろしいでしょうか」
相変わらず静かな口調の神父さんだった。
「あ、すいません。ちょっとお伺いしたい事があるんですが・・あのうステファン神父様は、まだこちらにいらっしゃるのでしょうか」
「ステファン司祭のお知りあいでしたか・・失礼いたしました。こちらに間もなくおいでですが・・・」
「そうですか、いらっしゃいますか」
「今、お呼びいたしましょう。失礼ですがお名前様は・・」
ちょっと 考えていた。なんて言えばいいのかを・・名前でわかるのかなぁって考えていた。
「子供の頃、ここでよく遊んだ シメオン柏倉と、お伝えください。それでわかると思います」
神父さんはうなづくと、内線電話でどこかに話をしているようだった。
「今、劉ってなんて言ったの・・それってクリスチャンネームなわけ・・やだー 全然知らなかった・・内緒だったんだ・・・ひどいなぁ・・隠し事して・・」
ちょっとあせっていた。
「いやー だってさ、茨城の田舎でよ、俺はクリスチャンネーム持ってるのよ・・って言えるか・・変な人に思われるだろがぁ。言えるかよ」
「えー 私には言えるんじゃないの・・で、よく聞こえなかったんだけど・・」
「シ・メ・オ・ン」
開き直って一言ずつ、はっきり 言ってあげた。
やっぱり、直美に笑われていた。
しばらくすると、懐かしい声が聖堂に響いた。
「いやー あんた ひさびさでんなぁーどないしましたん。大きくなりましたなぁ」
とんでもない大きな声と体重100kgはありそうな巨漢のステフアンさんだった。全然変わっていなかった。小さい時も思ったけど、神父さんと言うより、どう見ても変な関西弁をしゃべる 変な外人だった。
直美は隣で、ちょっとびっくりしているようだった。
「えっと 神父さん・・・・?」
小さい声で聞かれていた。
「司祭、こちらが柏倉さまです」
若い神父が手でご案内をしていた。
「しっとるがなー 今 挨拶しましたがな・・この子がこーんな小さい頃からしっとります」
神父は日本に初めて来た時に関西に8年いたので、最初に覚えた日本語が関西弁らしかった。とんでもない変な関西弁だった。歳はたぶん60歳ぐらいのはずだった。
直美は不思議なものを見るような顔でステファン神父を見ていた。
神父は直美を見て、とんでもない事を言い始めていた。
「奥様ですか・・こりゃ、どうも・・ステファンです。よろしゅうに・・」
「え、いえ、奥様ではないです。直美といいます」
「ありゃぁ これは はやとちり・・失礼しました。ではガールフレンドですかぁ・・かわいいお嬢さんですなぁ・・」
あわてて口を挟むことにした。
「はぃはぃ そうです。奥さんじゃないですから、神父さん。まだ、あのう18歳ですよ、俺たち・・」
「冗談に決まってますがな・・なにも、そう ムキにならんでも・・」
ステファン神父は言いながら巨漢を揺らして大笑いをしていた。
「で、どないしましたん、突然・・・隣の叔母さんの家に来ましたのか・・」
「あ、大学でこっちに昨日から住み始めて、それで、挨拶に来ました」
「ほー、もう大学生ですか・・早いもんですなぁ・・で、どこに住みますの?」
「えっと、世田谷線の宮之坂の駅の近くのマンションです」
「そりゃ、近いがな・・いつでも遊びにこれるがな・・まじめな信者でもこれからしますか・・」
また大笑いだった。
「で、えっと、直美さんも大学で、こちらに?」
「はぃ。劉ちゃんと一緒のマンションです」
あー 言っちゃったと思った。
それはきっと言わないほうがいいと思っていたことだった。
大阪弁の変な外人のおっちゃんだったけど、この人は紛れもないカトッリク教会のの神父様だった。
「一緒に住んでるんですか・・柏倉君」
言い方まで変わっていた。
「いいえ、同じマンションですが きちんと部屋は別ですよ」
「部屋は別でも同じマンションなんですね。そうですね」
標準語で話す時は、昔も説教をされる時だった。
「部屋は違いますから 5階と3階ですから」
少しだけ、言い返していた。
「ま、いいです。こっちへいらっしゃい。直美さんもです」
直美はどんな状況かさっぱりの顔をしていた。
「ね、なに・・なんか怒られてる・・」
本当に小さな声で聞いてきた。
「ごめんね・・たぶんちょっと今、怒られてるはず・・俺たち」
こっちも ほんとうに小さい声で直美に説明していた。
祭壇の前は、昔、この人に怒られた記憶の俺と、状況がわからずに少女のようにあどけない顔の直美だった。
ろうそくの灯りはその顔をほのかに照らしていた。