手首が飛んでしまう話。
僕の新しい手首
「坊、坊、大丈夫か? 坊?」
呼ばれる声に目を開けた途端、何かが僕に覆い被さって来て、その何かにぎゅっと抱きしめられた。
「あぁっ! 良かった。心配したのよっ!」
甲高い声に、それが母なのだと気づいた。そして、その余計に力の入った肩の間から、すすけた天井板が見えたことから、自分が座敷に仰向けに寝かされていることが分かった。
そしてその座敷が、夕方まで居た客間でなく、普段の食事や寝起きに使っている、窓の無い、奧の続き間だということも。
なら、あれは夢だったのかしらんと、啜り泣く母にのし掛られたまま、寝て起きたせいなのか、頭の芯が痺れたような、ぽーっといい気持ちで右や左を見回すと、枕元にいる父の難しい、しかし心底ほっとしたような顔と目が合った。
そこから、右回りに順繰りに、身分の高い順に使用人が、布団に寝かされた僕を取り囲むようにして並んでいた。
そして僕を取り囲んだ円の終点には――僕の布団の左側から覆い被さる母のすぐ横には、風邪の時によくお世話になる、お医者の先生が、ハンケチで汗を拭き拭き座っていた。
元々が薄暗い部屋だから、時刻はよく分からないが、幼い妹に付いているだろう使用人が抜けていることと、辺りが静かなことから、もう夜も更けているのだと察しが付いた。
そしてその中に、あの、お下げに赤い絣を着た、若いねえやの姿はなかった。
「なぁ坊、私が分かるか?」
難しい顔をした父が、頭の上から唐突にそう聞いて来たので、僕はしぱしぱ目を瞬かせ、何だか苦い味が広がって、乾いて粘つく喉に一度、唾液を送って口を開いた。
「父上でしょ? それで、隣が番頭さんで、じいやで、ばあや。手代もいるし、台所の女中さんもいるね。あとは分からないや……店の人? それで、母様と、あと……ここにお医者様」
途中で何度か声を枯らしながらも、比較的すらすらと出てきたことばに、皆が瞠目と共に安心し、場の空気がほっと緩むのが分かった。何というか、座敷の空気自体が、ほうっと安堵の息を吐いたかのようだった。
特に母なんかは、良かった、良かったとしきりに繰り返しながら、もう益々に泣き出したので、僕は困ってしまった。
どうにか泣くのを宥めようと、咄嗟に、自分に覆い被さるその背に腕を回してさすろうとして――ふと、腕に走った鈍い痛みに顔を顰めた。
ズキン、ズキンと痛むそっちの手が右手だということを意識した途端、背筋に冷たい物が走った。
母の背中から持ち上げ、自分の頭の上に、我慢出来る程度の痛みになるように加減しながら、そろそろと持ち上げて行ってみる。
「大分危うい状況でしたが、まぁ、もういいでしょう。くっつきましたし、意識もはっきりしてますし。あとは神経さえ繋がればですが、それは今日明日で分かることでは――あれっ、坊ちゃま、どうしましたか? 麻酔が切れて痛むのですか?」
何度も何度も礼を言う両親と、不意に泣き出した僕にオロオロするお医者の言葉が僕の耳をすり抜けていった。
痛いは痛いが、別に泣くほど痛かったのではない。雑巾や着物のようにチクチク縫われたことを意識して、後から怖くて泣いたという訳でもない。
ただ、悔しくて、悲しくて仕方なかったのだ。
何故なら、小刻みに震える母の肩越しに現れて、天井に下げられた電灯の明かりに透かされた、肘から手の先まで包帯でグルグル巻きになった右手には――五本の指も、頼りない手の平も、ちゃんとある様子だったからだ。
それから幾らか経っても、別に、何で自分の手を切り落とすなんて真似をしたか、とは聞かれたり、問いただされることはなかった。
あれだけ酷い怪我の衝撃で、誰もそんな事どうでもよくなってしまったのかも知れない。
または、近隣の口さがない誰かが、僕が学校でいじめられているとか馬鹿と呼ばれてるとか両親の耳に入れて、精神薄弱の結果の、学業を苦にした自殺と思われたのかも知れない。
とにかく、右手の治るまでの僕は、あの座敷から遠く離れた、日当たりの良い奧座敷に寝かされていた。
そうやって、何も聞かないで貰った上に、店に出る事を遠慮した母が、粥を食わすのから、厠へ立ち寄るのまで、とにかく構い過ぎるくらいに世話をしてくれた。
部屋のすぐ横の厠へ立つ時、何度か、くの字に曲がった廊下の反対の端に位置するあの座敷の障子がちらと目の端に見えたことがある。
しかし、ぴったりと閉められた障子は、午前の清らかな光に洗われて雲のように真っ白で、とてもあそこで血やら何やらが滴ったようには見えなかった。
余り立ち止まっていると冷えて身体に良くないと、母に両手で肩を掴まれ促されたので、それ以上を観察することは叶わなかった。
そして、母がどうしても手が離せない時、代わりに尋ねて来るねえやの中に、赤い絣とお下げのねえやは一人もいなかった。
あのねえやが一体どうなったのか、僕が右手を切り落としたあの後、この家で何があったのか。
母やねえやに手ぬぐいで身体を拭かれたりしている時に、そのうちの一人に聞いてみようともしたのだが――結局、身体の全てを拭かれ、着物を着せかけた皆がそそくさと去るまで、僕の中からそのような勇敢な気概は終ぞ起こらずに終わった。
もしかして、アレは勉強のし過ぎで見た白昼夢だったのではないかしらん?
余りにいつも通りか、それ以上に充実した日常と、縫って貰って以来ずっと続く微熱と、処方された痛み止めのせいか、僕の頭は、そんな都合の良い事を考えたりもした。
だけど、そう思って寝返りを打って眠ろうとすると、それを許さないとばかりに包帯の内側で右手が引き攣れるように痛むし、実際、あのねえやは僕の前に現れない。
その罪悪感からか、夜中に酷くうなされて、寝汗に塗れて叫ぶことも度々で、その度に母は隣の部屋から飛んで来ては、僕の汗を拭ってくれた。
ある時からそうしたことを考えるのも億劫になって、ただ、無心に母やねえや達の世話に甘えるうちに、やがて――今思うと本当に薄情なことに、そうした事も考えなくなって行った。
僕が乳児の頃にだって、恐らくやったことのないような、母の献身的ともいえる介護が功を奏したのか、最初の頃こそ痛みと熱で枕さえ上げられない有様だった僕も、熱が下がって以降は特に傷が膿むでもなく、健康的に生活した。
そうして、新しい学年が始まる前には、痛み止めと化膿止めの処方も終わり、もう、包帯を外して訓練をしても良いというお墨付きを受けた。
お医者様曰く、「刃物で躊躇なく切ってしまったことが、比較的くっつきを良くしたのだろう」ということだ。
そうして明くる日、母は朝食と一緒に、ぴかぴかと真新しいノートと鉛筆とを持って、僕の寝ている部屋へとやって来た。
「ねぇ坊や、試しに、鉛筆を握ることから初めてみなさいな」
粥を食べさせ終え、僕の布団の膝の上にノートと鉛筆を置いて包帯を解きながら母はそう言うが、僕はといえば、もう全身が粟立つほどに怖かったのだ。
あれだけ根性の悪い右手のことだ。下手に動けるように訓練したら、いつか僕に復讐するようになるのではないかと思っていたのだ。
作品名:手首が飛んでしまう話。 作家名:刻兎 烏