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真っ赤な昼、ホットケーキの蜜

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 視線を袋に移す。二つの袋いっぱいに、ホットケーキミックスがこれほどかというまでに詰め込まれている。種類はバラバラであるが、その数はざっと十以上はあると思われた。残りの二つの袋には、それぞれ牛乳と卵、そしてバターとメープルシロップがこれまた複数個ずつ入っている。
「あるだけ全部、買ってきました」
「…どんだけ食う気だよ」
「いつかね、何かの絵本でお皿に塔みたいに積み上げられたホットケーキの絵があったんです。あれ、やってみたいなぁって」
 悪びれる様子なく、カンナが笑って云った。そんなカンナの様子に、俺は呆れるしかなかった。
「…そういうのは、自分家でやれよ」
「一人でやっても、面白くないじゃないですか」
「彼氏は?」
 そう聞いて、しまったと思わず口を塞いだ。砂原のことを連想させるかもしれない。だが、カンナはそんな想像とは裏腹に、「彼氏は九州ですから」とあっさり云った。
「あ、彼氏いたの?」
「いけませんか?」
「…いや、いけなくないけど」
 カンナに彼氏がいるというのは、初耳である。だがまぁ、いてもおかしくはないとも同時に思った。
「でも、それなら男と二人で飲みに行くのは浮気じゃねぇの?」
 素朴な疑問を、俺はそのまま口にした。だが、カンナは表情一つ変えず、「そうですか?」とあっけらかんとして答えた。
「口に出したことが、それを聞いた人間にとっての事実になるんです」
 カンナはホットケーキミックスを袋から出しながら、そう素っ気ない声で云った。
「…それって、浮気もバレなければ問題ないってこと?」
「…まぁ、わかりやすく云えば、そういうことです」
 単調な調子でカンナが云う。俺は、やっぱり腑に落ちず、首を傾げてカンナを見た。
 少なくとも、いつも店で飲んでいるカンナとは別人のようだと思った。これが本当のカンナで、いつもは場に調子を合わせているだけなのだろうか。それとも、子供扱いされたことを気にして、素っ気なく振る舞っているだけなのだろうか。
 どちらにしても、今の俺にそれを確かめる術はない。カンナは俺のそんな様子を察することもなく、「キッチン、使ってもいいですか?」と聞いた。
「あぁ、ボールと計量カップは下の棚、泡立て器はその上の引き出しに入ってるよ」
 カンナが颯爽とカウンターの中に入っていく。俺はそんなカンナを眺めるように、カウンターの椅子に腰掛けた。
 カンナは一番大きなボールに豪快にホットケーキミックス一袋すべてを入れた。そこに、計量カップを使わず目分量で牛乳をどぼどぼと注いでいく。そんな様子を、俺は内心ハラハラする思いで見ていた。
 卵を割り入れ、泡立て器で軽快に混ぜていく。フライパンを火に掛け、ご丁寧にも油ではなくバターを入れて軽くフライパンを回すと、その上にこれまた豪快にホットケーキの種を入れた。
 ぷす、ぷすと小さな破裂音が耳に響く。同時に、甘ったるい匂いが鼻に付く。
 焼けては皿に移し、また新しい種を入れて焼けるのを待つ。そんな単調な作業にすぐに飽きるだろうと思ったが、カンナはとても真剣な顔でフライパンに向かっていた。種がなくなると、また新しい袋を開けて、種を作る。そんな作業がどれほど続いただろうか、俺の目の前に置いた灰皿は、いつの間にか吸い殻が十本にも達していた。時計が四時を回る頃には、ホットケーキはおそらくカンナが思い描いていた「塔のような」量になっていた。
 途中までは数えていたが、そのうち数えるのも面倒になってやめた。数えていた分までで、二十五枚。それから何枚も積み重ねられたのだから、おそらく、四十枚近いに違いない。途中までは普通に皿に載せていたが、二十枚を超えたあたりから身長的に苦しくなったのか、椅子によじのぼって載せていた。
「まだやるのか?」
 俺はうんざりしたように聞いた。
「そろそろ仕込みしなくちゃいけねぇんだけどな」
 カンナが振り返り、俺を見る。だが、まったく動じた様子もなく、「これで最後にする」と、ボールに残っていた種を全部フライパンに注ぎ込んだ。
 できあがったホットケーキを椅子にのぼって皿に載せる。
「できた」
 そう、カンナがにっこりと笑った。
「…こうやって見ると、結構すごいよな」
 高く聳え立つホットケーキの塔に、うんざりしていた俺でさえ少し感心してしまった。
「ギネスに申請できるかな」
 カンナが楽しそうに云う。
「食う?」
 俺は椅子から立ち上がり、カンナに聞いた。カンナが、「うん」とにっこりと笑う。
 今どきの若い娘らしく、そのホットケーキの塔を携帯電話で写真撮影する。それから一番上に載ったホットケーキを皿に移した。一枚の皿を俺に渡し、カンナはカウンターの外に出て椅子に座った。
「はい、フォークとナイフ。俺もそのメープルシロップ使っていい?」
 そう云って、袋に入ったままのメープルシロップを指差した。
「うん、勿論」
 カンナは袋からメープルシロップを一本取り出して封を開ける。俺はその間に、二枚のホットケーキに薄くバターを引いた。だが、カンナはそれがお気に召さなかったようで、「もう一回バター取って」と、指差した。
 俺は軽くメープルシロップを掛けながら、カンナがバターを塗り足す様子を眺めていた。だが、思わず眉をしかめて、云った。
「おい、塗り過ぎじゃねぇの?」
 カンナはナイフいっぱいにバターをすくったと思うと、それをべたべたとホットケーキに塗り込んでいく。まるでケーキのスポンジにホイップクリームを塗るような勢いで塗るものだから、さすがの俺も目を疑った。
「これくらいでいいの」と、カンナはナイフを置き、メープルシロップに手を出した。
 メープルシロップも、バターよろしく大胆な配分だった。思い切り絞るようにしてホットケーキの上に垂らしたかと思うと、まるで水を掛けているかのようにどぼどぼと注いでいく。
 ようやくその手を止めたときには、新品だったはずのメープルシロップが残りわずかになっていた。まさか生産者も、このボトル一本がホットケーキ一枚で使われてしまうことは想定していないだろう…俺はただ唖然としてそれを見ていた。
「…ホットケーキっていうより、むしろホットケーキのメープルシロップ漬けだな」
 少し深皿であるせいか、ホットケーキが完全にメープルシロップの中に沈んでいる。オレンジのライトに照らされたメープルシロップが、心なしか赤色に見えて、まるで血溜まりのように見えた。だがまったく気にしないように、カンナはそれにナイフとフォークを刺した。
 俺も気を取り直してカンナと一つ席を空けて椅子に座り、自分のホットケーキに手を付ける。だが、カンナのとんでもないホットケーキを目にしたせいか、それだけでお腹がいっぱいになり、あまり食欲が湧かなかった。
「ねぇ、マスター」
「ん?」
 俺は顔を上げ、カンナを見た。カンナは一口サイズに切ったホットケーキをフォークに刺し、宙に置いたままそれをじっと眺めていた。乗り切らないメープルシロップがホットケーキの端からべっとりと垂れ落ちる。
「ホットケーキって、ちょっとやらしいよね」
「は?」
 思わずフォークを皿に置き、顔をしかめる。