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真っ赤な昼、ホットケーキの蜜

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 カンナはフォークに刺したそれを、俺の方に差し出す。メープルシロップがテーブルに少し垂れる。俺は顔を差し出し、それを口に入れた。
 途端にねっとりとした蜜が口いっぱいに広がる。甘ったるさに口の中が支配され、ねちゃねちゃと音を立てた。
 次の瞬間、カンナが身体を乗り出したかと思うと、俺の唇に自分の唇を重ねた。小さな舌が俺の唇をこじ開けるようにして中にするりと入り込み、甘ったるさの中に生温かい感触が加わる。
 そうなると、もう理性というものは殆ど役に立たなくなる。最初は狼狽した俺も、すぐにその甘ったるい舌を貪るように自分の舌をカンナの舌に絡ませた。メープルシロップのせいで妙にねっとりとした感触が、余計に俺のちっぽけな理性を握りつぶす。
 長い口づけだった。唇を離すと、メープルシロップが糸を引いて、俺とカンナの唇を繋いでいた。少し荒い息遣いが、目の前の女を妙に色っぽく見せる。
 カンナはその糸を人差し指でくるりと巻くようにして切ると、かすれた声で囁くように云った。
「ほら、少しやらしい」
 そうして、小さく微笑む。そこにいたのは、幼い小娘ではなく、立派な女だった。
 キスをすれば、相手の身体に触りたくなる。恥ずかしい話だが、今のキスで俺のジーパンの中にしまった股間は唸りを上げていた。俺はそのままカンナの身体を抱き寄せると。その首筋に唇を這わせた。甘さを含んだ淡い溜め息ともつかぬ声が、カンナの唇から零れる。
 唇を首筋からデコルテに移し、片方の手でその小さく膨らんだ乳房に手をやる。その手を服の中に入れると、そのまま一気に服をまくし上げた。ピンクのブラジャーが目の前に現われたが、それさえもまくし上げると、俺はその中の小さな一点に唇を触れた。
「…外、見えちゃうね」
 息を詰まらせながらカンナが云う。だが俺は、それでも手を止めはしなかった。今日は業者の出入りもない。
「五十センチしか開いてないから見えないよ」
「誰か、覗き込むかも」
「…カンナみたいに、勝手に入ってくる常連客がか?」
 そう云うと、カンナがくすくすと小さく笑う。
 さすがに声が響くと困ると思い、扉だけをきっちり閉めて、俺はカンナの中に押し入った。横になるような場所もないから、カンナをカウンターに俯かせ、そのままバックで一気に入れた。最初からこうなることを予想していたのか、カンナは財布に忍ばせたコンドームを俺に渡すのを忘れなかった。まるでカンナの手中に踊らされていたような気もしたが、高揚した感覚ではそんなことさえ気にならない。カンナは外に声が漏れるのを心配しているのか、声を堪えるように口を腕に当てていた。その様子が妙に淫靡で、俺はいつも以上に早く女の中で果てた。
 生気を絞り出した俺は、ぐったりと汗ばんだ身体をカウンターに横たえる。カンナは自分の性器に手をやったと思うと、その手を引き出し俺に見せた。
「ほら、メープルシロップみたい」
 指先にぬらぬらとカンナの粘着質の体液が光っている。オレンジのライトに照らされたそれは茶色がかっていて、確かにそう見えなくもなかった。
「これでもう、普通にホットケーキは食べられないですね」
 茶目っ気たっぷりにカンナが云う。でももう、その顔に幼さは感じない。俺の中で、カンナは女だった。
「このホットケーキ、置いていきます。お客さんにあげてください」
 カンナはそう云うと、素早く衣服を身に着け、鞄を手に取った。あっさりと踵を返そうとするカンナの腕を、俺は掴んだ。
「…まだ、食べ終わってないじゃん」
「今のでお腹いっぱい」
「…残りの材料は?」
「プレゼントします。またマスターがホットケーキ食べたくなったときのために」
 そうにっこりと笑って云うと、カンナは扉を開け、五十センチのシャッターの隙間をするりとくぐり抜けて、外へ出て行った。カツン、カツンとヒールの音が妙に耳に付く。
 俺は慌ててシャッターをくぐり、十メートルほど離れたところにいたカンナを呼び止めた。
「おい、カンナ」
 カンナが振り返る。細身の身体がすっと伸びていて、少し傾き掛かった陽に照らされたその姿は、とても綺麗だと思った。
「牛乳の賞味期限、来週の火曜だぞ」
 何云ってるんだ、と我ながら情けなくなる。だが、カンナはやっぱりにっこりと笑ったまま、「そうですか」と一言だけ云うと、手を軽く挙げ、再び歩き始めた。
 俺はカンナが見えなくなるのを見届けて、店に戻った。途端に夜が俺の上に堕ちる。昼に取り残された中年間近の情けない男の姿だけが、その場に染み付いた影のようにある。
 俺はカンナが残していったホットケーキをナイフで切り、口に入れた。甘ったるいねっとりとした感触が口の中いっぱいに広がっていく。だが、いつしかそれがカンナの舌に変わり、カンナの唾液へと姿を変える気がした。





「マスター、何だよこれ。こんなに大量のホットケーキどうしたの?」
 常連客が目を見開き、面白そうに云う。
「たまにはいいだろ?食いたくなったんだよ」
「食いたくなったって云っても、これは作り過ぎでしょ。一体何枚あんの?」
 男が何枚あるのかを数え始める。他の客も、それを好奇な目で見守っている。客の女の一人が、それを見て感心するように云った。
「なんか、いつか読んだ絵本の絵みたい」
 ふと、胸に針が刺されたような痛みを感じる。
「いつかね、何かの絵本でお皿に塔みたいに積み上げられたホットケーキの絵があったんです。あれ、やってみたいなぁって」と、笑って云ったカンナの顔が、目の前にちらつく。
「マスターって、結構メルヘンなんですね」
 そう、女は笑った。途端に、客が揃って「メルヘン、メルヘン」と合唱を始める。
 それは違うと、俺は心の中で呟いた。俺は知ってしまった、ホットケーキの甘美な味を。甘ったるい唾液の味を、そしてぬらぬらと光るメープルシロップのような快楽の痕を。
「これ、注文してもいいの?」と、男が云った。
「いいよ。何枚食べる?」
 さすがに一枚以上は食べれないでしょと、男が苦笑するように云った。その男に同調するように、次々に客がホットケーキを注文する。俺は椅子によじ上り、それら一枚一枚を皿に移し、それぞれをレンジで温め直すと、カウンターに置いた。
 カンナが何本もメープルシロップを買っていてくれたおかげで、それぞれのテーブルにメープルシロップを出すことができた。だが、誰一人としてカンナのような食べ方をする人間はいない。
 ふと、高く天井に伸びたホットケーキの塔に目をやる。あのてっぺんから、大量のメープルシロップを垂らしたい衝動に駆られる。
 照明に照らされて赤く染まったねっとりとした液体が零れ堕ちていく様を想像する。途端に、黒に染め上げたはずの部屋に、真っ赤な昼が堕ちてきたような気がした。
 来週の火曜日、カンナは店にやってくるだろうか。
 俺たちしか知らない真っ赤な昼を貪りに。