【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-
「……………。」
彼女の手は、僕の喉の直前で停止していた。潰されるはずの僕の喉は、未だ健在だった。二人は喋らず、僕の足から流れる血の音だけが、何も無い部屋に響いている。
どうやら成功したようだ。
五条五月の魂の色は真紅から変わっている。
否、僕が変えたのだ。大量の返り血を浴びた、彼女の魂の色を、山吹色に変えた。
魂の色は、その人そのものを表す、いわば僕にしか見ることの出来ない、隠し事の出来ない、履歴書のようなもの。その色を、黒く塗りつぶすだけが認色の魔眼の能力ではない。魂の色を、黒を含めた、あらゆる色に塗り替えることが出来る異能なのだ。色を変えられると、その色に引っ張られて、性格を、価値観を、変えてしまう。
思えば、事がうまく運び過ぎなのだ。花笠さんが家に来いと言ったのも、大輔達が食堂についてこなかったのも、染崎さんが僕の話に乗ったのも、谷川が僕の依頼を受けたのも、ネットカフェの店長が僕に情報を提供してくれたのも、染崎さんが僕を殺す直前に僕の話に付き合ったのも、全てこの眼で相手の色を微妙に変えていたのだ。疑惑や不信を持つと、魂の色は暗くなる。それをさせない。疑わせない。認色の魔眼は、色を黒く塗りつぶして殺すだけの異能ではない。相手の魂を、任意の色に変える事の出来る異能だったのだ。今まではその異能を、無意識的に行使していたのだ。魂を任意の色に変える力、それはつまり、他人を操る異能とも言える。
変えた彼女の魂の色、山吹色。太陽の色、優しい色、人を殺す事なんて出来ない色。
「ってぇ……」
「…………私、なんてことを………」
色が変わったと言う事は、人間そのものが変わったと言う事。それはつまり。
「青原くん、私、私、なんてことを…………っ」
元の人格を、殺したと言う事ではないのだろうか。
「君はもう、元の五条五月じゃない、のか。」
「あああ、こんなに血が、私、私は、なんて酷い事を、」
別人だ、よく似た、別人。こんなのは五条五月ではない。また僕は、人の色を変えたのだ。
僕の死は、回避された。その結果は、無惨なものだった。
「こんな君とは、結婚したくないな。」
天井を仰ぎながら、そう呟いた。
扉が開く音、どたどたと、複数の足音、警察が今更やってきた。
リビングにいの一番についたヒロさんは顔面蒼白だ。他の警察も驚きの表情を隠さない。他人から見たら、押し倒されて馬乗りにされている血だらけの僕は、まさしく殺される瞬間のように見えるだろう。ヒロさんは拳銃を抜き取る。威嚇して、彼女を止めるつもりなのだろう。しかしそんな事をしなくとも、彼女は既に僕を殺す気はない。銃を向けるな。当たったらどうするつもりだ。
「や……め…」
しかし声が出なかった。二分と経っていないはずなのに、かなり血を失ったのか、意識が朦朧としだしていた。まずいな、これじゃ彼女の事を警察に説明する事も出来ない。
「あ、駄目、撃たないで…」
「五条五月、そこをどけ、離れろ…」
「駄目よ、銃を下ろして、危ないから、彼に当たってしまう…」
色の変わった五条五月はパニック状態のようで、ヒロさんとの会話が噛み合っていない。銃弾が僕に当たるのを心配しているようだ。
「早くどけ!」
ヒロさんが引き金に添えた指に力を入れそうなところまで見えたが、段々と視界が暗くなってきた。ああまずいな、意識を失うっぽい…
「あああ、あああああああああああああああああああ、駄目よ、撃たないで、撃たないで、わた、わたしは、彼を攻撃する気は…」
彼女がそう言うと、何か鈍い音が聞こえ、その直後に何か暖かいものが顔にかかった、気がした。温い、なんだろう。よく見えない。暗い、視界が暗い、否、赤い…?
「何をっ…!」
「私は、攻撃を加える気は、」
再び、気色の悪い音がした。その瞬間に、僕の意識はぷっつりと切れた。
作品名:【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ- 作家名:疲れた