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【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-

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「十二年前の事件は、彼女の腹いせよ。」
 紅茶を飲みながら、彼女はそう言った。
 彼女はもう、自分が禾役メイである事を、つまりは、現代の人喰い獣でああるということを暗に認めたようだ。
 腹いせ…夫の寵愛を受ける事のなかった妻の、ストレスの捌け口。やはり、動機としてはとんでもないものだった。動機なんて、考えるだけ無駄、か。目の前の少女が、何時かそう言っていたのを思い出した。
「なんだろう、何故、男が生まれたら殺さなければならないんだ?」
 素朴な疑問を口に出した。禾役という一族は、今聞いた話だと女系のように聞こえる。「牙」という異能の他に、何か異能があるのだろうか。
「異能という程じゃないけど、その理由は、『牙』によるもの、よ。禾役の子は生まれる前、胎児の頃からその強力な握力を、有しているの。禾役は、胎児の握力に耐えうるように、子宮そのものの耐久性が非常に高いの。胎盤も臍帯も非常に強い。でも男の子にはそもそも子宮がない。外部の女性と子を産む場合、女性自体が赤ん坊の『牙』に耐えられず、妊娠した状態で胎児に腹を裂かれて死ぬのよ。」
 …思ってた以上に「牙」はとんでもない異能だ。血を絶やさない為には、女系であり続けるしかない、残酷な血族。男が生まれても、子種が残せないから、殺すしかない。
 もしかすると、染崎さんは、彼女がどんな資料を読んだのかは知らないが、もしかしてその資料を読んだだけで赤坂町の獣の正体が分かり、そして女系の一族であることにまでたどり着いたのではないのだろうか。故に彼女は、赤坂町の獣を、伝説の殺人姫と呼んだのではないのだろうか。
 それが本当かどうかは、もはや確認する術はない。でも、すばらしいネーミングセンスだったと言わざるを得ないな、これは。
 禾役一族は、まさに『殺人姫』だったのだ。
「禾役メイはその後施設に入れられるが、あらゆるものを破壊し、子供達から忌み嫌われたわ。馴染めるはずがないもの。家の中しか知らなかったから。強すぎる握力がバレないように気を続けるストレス、『牙』でものを壊したらからかわれる。友達はいない。ものを壊すと職員に怒られ食事を抜かれる。高校に入学出来るまでの十年間は、悪夢みたいなものだった。」
 僕には想像出来なかった。それがどれくらい大変なのか、どれほどつらかったのか、理解出来なかった。
「児童養護施設を出たら名前を変えたわ。私に優しくしてくれたお父さんの名字を借りて、名前を誕生月に。一人で暮らすには仕事がいる。でもこんな手じゃ出来る仕事なんてないし、そもそも私、不器用なのよ。」
 不器用というか、要領が悪い気がする。
「だから、不本意だけど、お母さん達が使っていたコネクションを利用する事にしたの。高校生で殺し屋だって。笑っちゃうでしょ。」
 十年間音沙汰のなかった、昔の裏世界では少しは名の知れた殺し屋、赤坂町の人喰い獣が復活した。
「それからちょくちょく、学費と生活費の為に、依頼人の意向に従って人を殺してきたの。最初はそこまで話題にならなかった。赤坂町と若木町では場所が違うし、一部のオカルト雑誌の隅に小さい記事として載る程度だったのに、今年に入って、連続殺人事件が発生したの。何故だか私の殺しもそれに含まれて報道されて、とても仕事がし辛かったわ。」

 これが、彼女の、五条五月の、十七年間だった。

「これで、青原くんの相談に、乗れた?」
「ああ、十分、だよ。」
「じゃあ、私の悩みも、聞いてくれるんだっけ?」
 実を言うと、彼女はそう切り出した。
「でも私ね、相談する程の悩み事は、ないのよ。現状でどうにか生きていけるし、依頼人にも贔屓にしてもらってる。青原くんに相談しなきゃいけないようなことは、特には、ないのよ。」
 その言葉は、嘘だ。嘘をつくなよ、五条五月。
「本当の事を言ってくれ、五条さん。悩んでないなんて事、ないだろ。」
「…なんでそう、思うの?」
「僕は君と、同じ事をしたからだよ。君は、親に殺されそうになって、でも逆に殺して生き延びたんだ。僕もそうだ、この前、殺されかけたけど、生き延びたんだ。彼女を殺して、生き延びた。」
 意地汚くも、死ぬのを免れた。人一人の命を奪ってまで、生き残った。互いに殺した相手は殺人姫。幾人もの人の人生を奪った、許されざる人間。正当防衛とはいえ、人を殺してしまった。
「染崎さんを殺してしまったときは、眼を潰そうとまで、思った。人を殺してしまった重責が一気にのしかかって、重さに耐えきれなかった。僕は目の前で彼女が死ぬ様を進行形で見ていた。あんなに苦しんで死んだ、僕が、あんなに苦しませて殺したんだ。日本の死刑でも、もっと苦しまずに彼女を死なせることが出来たはずなんだ。でも僕が出しゃばって、結果彼女は、とてつもなく苦しい死に方で、絶命した。」
 殺す、ということと、死なせる、ということには天と地の差があるように思う。それこそ月とスッポンほどの、アリとティラノサウルスくらい差がある。染崎さんだって、殺す時には麻酔を使っていた。それは効率優先の結果なのだろうが、結果的に被害者達には苦しみはそれほど与えられていないはずだ。殺人姫でさえこの温情。僕とは、違う。
「あんな苦しい殺し方をして、僕は怖くなった。人を殺す恐ろしさ、罪悪感、嫌悪感、不快感。何度も何度もフラッシュバックする、あの時の絵。人を殺した時に初めて、ようやく、自分にも死に対する危機感を持つ事が出来た。」
 間近で、身近な人の、最も悲惨な死を、見てしまったから。
「人殺しをした自分が怖い、もう何の弾みでまた身近な人を殺してしまうかもわからない。死ぬべきだと思ったのに、死への恐怖を知ったから、死にたくない。死ぬのが、怖い、あんなに苦しんで死にたくない。あんなに苦しいのなら死にたくない。でも人を殺した自分が生きていいわけがない、でも死ぬのが怖い。」
 死を知ってしまったから、人殺しの自分が恐ろしいのに、
 死を知ってしまったから、死ぬ事が出来ない。
「違う、違うわ。私は、そう思ったりはしない。人を殺す恐ろしさなんて、」
「嘘だね。子供の頃の君は、実の母親を殺した事が急に恐ろしくなったんだ。違う、と言うなよ。だから君は、呼ぶ必要もないのに警察に通報したのだ。通報しなければそもそも死体が見つからない。犯罪は見つからなければ、それは罪とならないのだ。大規模な山狩りを行わないと見つける事すら出来ない洋館だ、通報さえしなければ、それだけで完全犯罪が成立する。なのに何故態々警察に通報した?子供なら少年法が守ってくれるからか?そもそも『牙』のことが露見されなければ、自分の仕業だとは露とも思わないとたかをくくっていたのか?ああ、もしかしたらそれもあるだろう。でも、子供の頃の君は、禾役メイは、自分のした事が恐ろしくなって、一一〇番したんだ。母親が、血だらけで、動かなくなったのが急に怖くなったんだ。屋敷にはもう誰もいない。電話で誰かに頼るしかない。『牙』で受話器を潰すまで、そうやって誰かに助けを求めたんだろう?」