【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-
僕は再び、五条五月の部屋にいた。何もない、殺風景なリビングに。
五条さんは以前と同じく、取っ手の壊れたティーカップに紅茶を注いで、僕の目の前に置いた。
「入院したんじゃなかったのね。良かった。」
気持ち、彼女の表情が微笑んでいるように見えた。滅茶苦茶可愛いのだが、今日は褒め殺しに来たわけじゃない。
「そのサングラス…」
言い終わる前に、僕はサングラスを外して丸テーブルに置いた。
勇気を持って眼を見開く。何も考えるな、何も感じるな。何を思って、人を殺してしまうか分からない眼だ。
赤い、紅い、変わらぬ美しい真紅の魂が、そこにはあった。
ああきっと、この色は、僕は十二年前にも見ている。
「五条さん、悩んでいる事、あるでしょ。今日僕は、それを聞きに来た。」
「………悩み……は、今日は、いい。」
断られたが、別にそれでも構わない。
「そう、じゃあ、僕の悩み、聞いてくれる?電話で、約束したよね。」
「…別にいい、けど」
ポケットから写真を取り出し、彼女に見えるようにすう、と放った。写真は、彼女の目の前に滑り落ちた。
「その写真の娘、知ってる?」
烏山の洋館でガメて来た、黒いドレスの少女が写った写真だ。
「………」
五条さんは無表情でそれを見下ろしていたが、一瞬、赤い色が濁ったのを、僕は見逃さなかった。
「こっちの写真は、知ってるかな?」
履歴書用サイズ程度の写真を、再び放る。それは、ヒロさんの卒業アルバムからコピーした、
「禾役陽子っていう、僕が小学校に入った頃の担任の先生なんだ。って言っても、三週間程度の担任だったんだけどね。」
五条さんは写真を見入っていた。
「知ら、ない。」
「そう、知ってると思ったけど。」
我ながら白々しい喋り方だ。だが彼女は、この二人の写真の女性を知っているはずだ。
「禾役陽子は、十二年前の連続殺人事件で命を絶たれた。ちょうど今起きている、人喰い獣と同じ方法で、喰い殺されて死んだ。否、寧ろ、四人家族の禾役家は、一人を除く全員が喰い殺されて死んだんだ。」
「………………………。」
「しかし禾役家の犠牲を最後に、今日に至るまで人喰い獣は現れなくなり、事件はなし崩しのまま幕を閉じてしまった。何故だと思う?」
「…………知らない、わからない。」
「禾役陽子本人が犯人だからさ。犯人が死んだら、事件は起こりようがない。」
殺人姫が死んだら、事件が終わってしまうように。
五条さんは写真から眼を離し、再び僕の方を見始めた。
彼女は何かを言おうと、口を開きかけたが、僕はそれを遮るように喋る。
「何故、犯人である禾役陽子が死んだのか。彼女もまた、獣に喰われたような状態で死んでいるのが見つかった。それは他の、禾役家の娘を除く、他の二人と同じだ。しかし、禾役陽子だけ、二人の死体とは少し毛色が違っていたんだ。
獣の歯形、顎の大きさが違っていた。禾役陽子の遺体だけ、傷口がやけに小さかった。他の、禾役家に限らない、獣に喰われたどの遺体の傷口よりも小さかった。何故彼女だけ小さかったのか。彼女は、人喰い獣のでない、違う者に殺されたからだ。彼女はさんざん人を殺したあげく、自分も殺されて死んでしまった。」
無惨な幕切れ…染崎明日香もまた、禾役陽子と似たような最期を迎えてしまったわけだ。しかしそれは、彼女の憧れである存在と同じ死に方が出来たということなのだ。あぁ、彼女は幸せだったかもしれない。
「禾役家で唯一生き残った、娘の禾役メイ。殺されたのは、彼女の兄の禾役淳、母親の禾役陽子、そして、父親の五条雅弘」
五条さんの体がびくんと動く。
「五条さん、五条五月、五条五月の本当の名前は、禾役メイだ。」
五条さんは動かない。話を続ける。
「殺人者、禾役陽子は自分の夫と息子すらも殺したが、娘だけは殺さず、そして死んだ。何故娘だけ生きているのか。恐らく禾役陽子は娘も殺そうとしたはずだ。しかし、禾役陽子は娘を殺す前に殺されてしまう。
実の娘に返り討ちにされたのだ。」
「…それは全て、根拠がないわ。」
「否、根拠ならある。明確な証拠とは言えないけど…」
烏山の洋館と、この部屋には共通点がある。
五条さんの部屋、ここ二一一号室のドアノブや、冷蔵庫の取っ手、包丁の柄、ティーカップなどが壊れていた。どれも手を触れる部分、手が届く範囲のもの。
手が届く範囲のものが破壊しつくされた、烏山の洋館。
「どちらも手が届く範囲のものが壊れていた。否、手で触れるから壊れているんだ。どうやって壊したのかなんてのは、実に簡単な答えだ。彼女達は道具なんて用いていない。無論、獣なんてものは存在しない。
彼女達は、その握力のみで人の肉を引き千切るのだ。」
遺体から出た歯形、上顎に四本とは、人差し指から小指までの四本の指、下顎に一本とは、親指のことを指すのだ。人の筋肉、骨すらも砕く異常な握力、それが獣の正体だ。
「手で触れる箇所は、その異常な握力で破壊してしまうんだ。ちょっと強く握っただけで家具を粉砕する程の握力だ、力の入れ方が難しいんだろう。壊したのではなく、壊してしまったんだ。」
コントロールの難しい異常握力、これは恐らく遺伝性のものだ。子供部屋が特に荒れていたのはそれが理由だ。小さい時からこの握力は顕現するようだ。しかし子供に細かいコントロールが出来るとは思えない。子供部屋の破壊は、子供自身が力をコントロール出来ずに色々なものに触れ、握りつぶしてしまった結果なのだ。
この部屋のものも、恐らくそう。冷蔵庫の取っ手がへし折れ、包丁の柄にひびが入り、ティーカップの取っ手部分がないのも、ふとした時にその握力で破壊してしまった。彼女が食事をする際に、箸を使わず、常にフォークかナイフを用いるのもそういう理由だろう。箸という複雑な道具は、強すぎる握力を有する手では、使う事そのものが困難なのだろう。
「そしてその小さい手のひらで、母親を殺した。」
禾役陽子の傷口が小さかったのは、同じ異常握力の持ち主である禾役メイによって肉を引きちぎられたからだ。当時の禾役メイは六歳だ。既にその年齢でも、人の肉を剥ぎ取る程の握力があったのだ。
「新聞には母親の傍らにいた血ぬれの少女と書いてあった。これは母親の傍らに居たから血にぬれたのではなく、少女自身が母親の肉を千切ったから、血ぬれだったのだ。」
人殺せる程の握力。人の域から外れた異能。他からは、獣の仕業にしか見えない、文字通り人外。異能の力を継承する、禾役という一族。その末裔である、禾役メイ、現在は五条五月と名乗り、生活している。
「…………それは、相談なの?」
という当然の突っ込みを彼女はしてきた。
「…今までのは、僕の憶測だよ。相談する事は、今から言うよ。
僕は、真相を知りたいんだ。十二年前の事件と、五条さんが何故、今こういう生活をしているのかを。それが僕の、相談。」
「…そう。」
一寸、間を置いてから、彼女は首を傾けながら言った。
「青原くんって、結構卑怯だね。」
作品名:【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ- 作家名:疲れた