【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-
上顎に四本、下顎に一本(もしくはその逆)の牙、ねぇ。映画に出てきそうなモンスターを想像してしまった。なんだか咬筋力に対して牙の数が足らなさすぎる気がする。上下合わせて五本の牙だ、前歯で精一杯じゃないか。
とはいえ、鳥なんかは歯が無いけど、烏はゴミ捨て場のネットを千切ることが出来るし、歯が無くとも咬筋力には影響しないのかも知れない。しかしテレビでは中型の肉食獣がどうのこうのと言っていた。肉食獣で牙が無い動物なんて想像がつかない。もしかすると、本当に僕の想像通りのモンスターがいるのかもしれない…。
獣、獣のような眼を持つ少女、五条五月。返り血を浴びた色、赤い魂。十中六七程度の確率で、彼女は殺人を犯したことがあるはずだ。染崎明日香の犯行ではない殺人は、恐らく彼女によるものなのではないかとも思ったが、どうだろう。彼女の家に、僕が想像したようなモンスターはいない様に見受けられた。クローゼット、トイレと思わしき二つの部屋には入っていないので、いないと断ずることは出来ないが、そもそもマンションは基本的にペット禁止なはずで、人の肉を喰いちぎる獣となるとそこそこの大きさなはずだ。近くの住人に気付かれずに飼育するのは難しいのではないのだろうか。気付かれているなら、今頃騒ぎになって警察に通報されているに違いないが、そんなニュースは未だに聞いていない。五条五月は本当に殺人の罪を犯したことがあるのだろうか。赤い魂の傾向はある程度分かったが、傾向はあくまで傾向でしかない。もしかすると彼女は人を殺したことが無い、ということもあるかもしれないが、赤い魂の二人が殺人姫であった以上、一人だけ違うというのは無理のある解釈だ。
だからと言って五条さんが過去に人殺しの罪を犯していたことは証明出来ない。机上の空論に悩むよりも、何か他に出来ることがあるはずだ。
例えば、元政治家が殺害された事件。まずはこれから解決出来るのではないか。獣云々はともかく、殺人の動機はハッキリしている様に思う。獣に喰われた被害者、今回の元政治家の他には、現職の政治家や政治家秘書、大御所の俳優などが殺されている。何れも多くの人間に影響力を持っていそうな人物の殺害。彼らが死ぬことで、利益を得る者がいる可能性も高い。そういった利益目的の殺人か、もしくは殺し屋か。殺し屋だって伝説並みに眉唾な気もしないでもないが…誰かの利益のためという考えは自然なはずだ。動機は分かりやすいのだが、やはり殺害方法がどうしても非現実的すぎる。動機と殺害方法にギャップがありすぎる。獣って何だ?本当にそんな獣がいるのか?いるとは思えない…いないのなら、じゃあどうやったというのだ。駄目だ、獣の謎が解けない限り解決出来そうにない…。そもそも二度も殺人姫の正体を知ったからと言って、本来ただの高校生に過ぎない僕が殺人事件を解決しようとすること事態がおこがましいのか。
なら他に出来ることは…殺人姫の伝説、赤坂町の獣…駄目だ、伝説を調べようにもキーワードが少なすぎる。染崎さんは歴史資料室の資料から知ったと言っていたが、同時にそれを燃やしたと言っていた。何で燃やしたんだろう…他人に読まれたくないからか、自分の憧れの存在は、自分のものだけであると…そう思ったのだろうか…あの状況で彼女が嘘をつくとは思えない。嘘をつくメリットが無い。その資料はもう灰になって大気に揺られているだろう。無いものを探すことは出来ない。手の打ちようがない。
「まぁ〜ぶっそうな世の中になってぇ〜、そういえば昔こんな事件があってなぁ〜」
ばあちゃんが何時のも話をしようとしている。無視無視。とはいえ、自分に出来ることは伝説の殺人姫を知ることくらいなのか…それで何かが解決出来る訳ではない様に思えるが…
「赤坂っちゅう坂の上でなぁ〜、獣に喰われたよぉ〜な仏さんが見つかってなぁ〜」
伝説と言ってもどれくらい昔の伝説なのか知らないし、大体伝説とは言うが染崎さんが脚色つけて言っただけかもしれないしなぁー…って、なんだって。
「ばあちゃん、いま何て言った?」
「赤坂っちゅう坂の上でなぁ〜獣に喰われたような仏さんが見つかってなぁ〜そこには恐ろしい獣がすんじょるから、近づくなっていわれたもんよぉ〜。」
赤坂の上に獣に喰われたような仏…死体?
「ちょ、それ、どういうこと?」
「あら、雪人あんた覚えてないの?おばあちゃんが昔あれだけ言い聞かせたのに。」
母さんが皿を洗いながら言って来た。未だに朝食を食べているのは僕だけだ。
「…覚えてないよ、だって何時も同じことばっかだったから、」
何時も途中からは聞いてなかった。ばあちゃんの話を最後まで聞いていたのは何時だったか。小学生も低学年の頃だろう。
「おばあちゃんはね、この辺りの民話の語り部だったのよ。昔は色んな人に聞かせていたけど、もうおばあちゃん動くのもつらいから、語り部の仕事はしてないんだけどね。」
昔、この地は烏山と呼ばれていた。僕らが通っている高校の名称はその名残だ。この辺りは起伏の激しい土地で、多くの小山が点在していた。その中の最も大きな山の周りには何時も烏が飛んでおり、その山はそのまま烏山と呼ばれることになり、ついでに土地の名も烏山と呼ばれることとなった。烏山は小山の中では大きく木々が生い茂り視界が狭く、また険しいため近づく人はあまりいなかった。物好きや修行僧が山を登るくらいであった。しかし烏山に上った者の中の数人は、何故か行方不明になった。また烏山付近の住民や、偶然通りかかった人が急にいなくなることもしばしばあった。
ある日、烏山の山登りのために踏みしめられて出来た坂道が赤く染まっていることに近隣の者が気付いた。坂が赤く染まっているとは何事か…赤くなった坂を上ってみるとそこには、獣に喰われた遺体が放置されていた。遺体から流れる血が、坂を真っ赤に染め上げていたのだ。行方不明になった人たちも獣に喰われたに違いない。この山には狼か、それよりもおぞましい怪物がいる…。烏が飛んでいたのは、獣が食べ残した遺体をついばむ為だろう。その日からその坂は赤坂と呼ばれ、住民達はその山に近づかない様にした。また罪人などを烏山に放置するような刑もあった。山に放たれた罪人は麓に戻ってくることはなかったという。
ばあちゃんの話を分かりやすくするとこんな感じだ。
「あー思い出した、確かそんな話だったっけ。」
「お母さんだって覚えてるのに、雪人、あんた記憶力大丈夫?学校の成績も全然伸びないし…」
うるさい。
改めて聞いてみて、何だかリアルな獣よりも妖怪を想像してしまった。
作品名:【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ- 作家名:疲れた