【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-
例の事件の影響か、三時過ぎの若木町駅周辺は人でごった返していた。帰宅する人が吸い込まれるように駅へと歩んでいる。当然か、学業や仕事よりも自分の命あってのものだ、連続殺人姫の舞台にいつまでも居ると役者の一人に数えかねられない。死体役になる前に舞台から降りるのが頭のいい考えだろう。僕自身は人混みが嫌いなので目を逸らすけどね。
僕達の乗ったバスはそこまで人が乗っていなく、実に快適だった。烏山高校くらいしか大量の人が集まる施設がないので、当然と言えば当然だ。放課後と言っても、自転車を置きに行ったり、そもそも五条さんの一挙手一投足がゆっくりしているので、下校時間からずれたのが幸いだったか。
さて、ここからは五条さんに案内してもらわないと、僕には道が分からない。歩みの遅い彼女が先導となると、凄く時間がかかるような気がするが、こればかりは仕様がない。五条さんは僕の方をちらりと向いてから歩き出した。
ついてこい、という意味なのだろうと勝手に解釈して、彼女にゆっくりと付いて行くことにした。やっぱり遅いなぁ。背が小さいから歩幅も小さくて、その上動作も遅いから、結果とても遅くなるのだ。僕はそれに合わせることしか出来ない。
とろとろと歩いていると駅の方に見慣れた制服と赤い色が見えた。緋色の魂は染崎明日香だ。片手に学校指定のバッグと、もう片手にはまん丸とふくれたビニール袋を下げている。長ネギが飛び出している所を見ると夕飯の食材か何かだろう。そう言えば彼女も若木町在中か。生徒会委員会はないのか、遅れたとはいえ僕達よりも先に若木町に着いてるのがとても珍しく思えた。烏山高校すら既に事件の渦中にある。部活にしろ何にしろ中止になっていてもおかしくはないだろう。
うん、授業もホームルームも、碌に聞いてなかったから、部活が中止になったとかそういうことがあったのかどうか全然覚えてない。人の話は聞かないと駄目だなぁ、と人生十七年目にしてやっと気が付いた。染崎さんは僕達には気が付かず、駅ビル内に入っていった。まだ買うものがあるのだろう。僕も声をかけるつもりはなかった。五条さんが殺人姫でないなら、高い確率で染崎さんが殺人姫ということになる。あまり軽々しく声をかける気にはなれなかった。
亀のような歩みでアーケードを進む。例の裏路地への隙間は黄色と黒のテープによる境界が作られていた。なるべく現場を保存するためなのだろうが、五日も前の現場をどうこうする意味なんてないと思うけど。
アーケードを抜けた所で右に曲がり、坂を上る。途中小道があって、周辺には赤い染みが点々としていた。なるほど、金曜日の遺体の血はここまで流れていたか。僕の他にもう一人通報した人がいたようだが、なるほどここに流れていたであろう血液を見て一一〇を押したのか。
そのまま坂を上り、直ぐに見えたマンションが、五条五月が部屋を借りているマンションだった。壁の色が剥げて古ぼけている外観で、ガラス戸にもひびが入っており、掲示板もべろりとめくれており、蛍光灯はチカチカと点滅し蜘蛛の巣が張っていた。管理が行き渡っているとは思えないマンションだ。汚い、とは言わないが、綺麗、などとは口が裂けても言えないな。
…なんか前にも同じことを思った気がするな。凄い近くで。
マンションの玄関口を通り、五条さんがポストを確認し(部屋は二一一だとここで分かった)、階段を上り、二一一号室まで直進した。二一一号室は二階の隅だった。名札には何も書かれていない。無人の部屋と思われても仕方のない見た目だ。五条さんは鞄から鍵を取り出してそれをドアノブの中心にある鍵穴に差し込んだ。外観も古ければドアノブも古いのか、上手く回らないようで一分くらいは往生していた。ガチャリと気味の良い音の後に扉を開く。彼女は扉を開けたまま中に入り、靴を脱いで上がり、振り向いて外に立ったままの僕の方を見ていた。
「………」
「………」
えっと、どうすればいいんでしょうこれは。
「…あがらないの?」
「…あがる、けど」
片付ける時間が要るんじゃないかと思っていたんだけど、最近の女の子はそんなことを気にしないのだろうか?
片付けに時間を割く気はないようなので、遠慮なく上がらせてもらうことにしよう。玄関に入り、ベコベコにへんこんだドアノブを掴んで扉を閉めた。こうもドアノブが古いと、鍵も通りにくくなるだろう。僕が鍵を閉めると変な意味になりかねないので鍵はそのままにした。当然チェーンにもノータッチ。
靴を脱いで揃えた時には既に五条さんは奥へすたすたと歩いていた。廊下の左右に一つずつ扉がある。どちらかがお手洗いだろう。そのまま進むとリビングとキッチンを兼ねた部屋に出た。ベッドも置いてあるから寝室も兼ねているのだろう。しかし見事に何もない部屋だ。中央に膝ほどの高さもない丸テーブルと座布団とクッション、ベッドがあるだけで後は何にも置いてない殺風景な部屋だ。テレビすらない。なるほど、片付けるものがなければ、片付けに割く時間は必要ない訳だ。
五条さんは身振り手振りだけで僕に座布団に座るよう促し、部屋の隅に鞄を置いたら再び廊下へと足を進めた。ドアの前にまで来たところで振り返り、
「着替えるから、待ってて。」
とだけ言って廊下の奥へと姿を消した。廊下にあったどちらかの扉がクローゼットか何かなのだろう、ガチャリ、とドアが開いて、バタリ、とドアが閉まる音が聞こえた。一人で動くに都合の良い状況になってくれた。
直ぐそこで女子が着替えていると思うとなんとなく変な気分になりかねないが、僕は五条さんの着替えを覗きにきた訳じゃない。
当初の目的を忘れてはいない。赤い魂の色が、本当に殺人を表すのか。彼女が今まで殺人を犯したことがあるのか、あるいは若木町市民を恐怖に陥れている殺人姫なのか、それを知るためにここに来たのだ。
目的は良いが、さて、どうやって彼女が殺人を犯したことがあるのかどうかを証明出来るのだろうか。家にまで来て探すものと言ったら、血塗れた包丁か、あるいは鈍器か、隠された遺体を見つけるとか、そういうものしか思いつかない。で、彼女が僕を家に入れた事実が、そもそもそんなものはないという根拠になっている気がする。見つかったらヤバいものが家にあるのならば、家に行きたいという頼みを断るだろうし、あるいは家に入れる前に隠すための時間稼ぎとして、「片付けるからちょっと待って」くらい言うものだろう。つまり、今ここに自分が居るということこそが、まさに彼女が殺人姫でないことの証明なのではないだろうか。
いや、しかし、それは早計か。連続殺人の遺体は基本的にすべて発見されている遺体の一部が見つからないという話も聞かないので、隠さなければ行けないようなものはないはずだ。否、そもそも遺体の一部を隠す意味が分からないけど…。凶器にしたって、血が付いてあるのであればそんなものは拭き取るだけだろうし、そうでなくても処分するはずだ。凶器がないことは、必ずしも殺人姫でないことの証明にはならない…。
作品名:【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ- 作家名:疲れた