ちょっとした出会いから
福井県にある私立の工業大学の情報工学部へ進学した鳩中由紀夫。ゲームソフトを自作するのが夢だった。
わくわくしながら始めたひとり生活にもかかわらず、すぐにその生活の大変さに気がついた。用意された食事などなく、すぐに洗濯物が溜まる。
仕送りされてくるお金を1カ月もたせるのも難しく、夏休みはバイトに明け暮れた。
家が恋しくなる時がある。母の手料理を食べたい。うっとおしかっただけの父の存在だったが、それもなぜか懐かしい。
10月の大学祭で授業がない時に家に帰ろう。
自分の部屋に入った途端、正面に貼られたままの紙に目がいった。小学生の時、父と一緒に声を合わせて読んだ文章が書いてある。
そっと声に出して読んでみた。
車で河川敷のサッカー練習場へ送り迎えしてくれた時の父、試合のたびに応援に駆け付けてくれた父は大きな声を出すので恥ずかしかった。 そして自転車で転んで怪我をした時・・・
「ちょっと出かけてくるわ」
と言い残して自転車にまたがって家を出た。
おやじの好きな饅頭でも買うてこ、と思い付いて。
吹く風に少し冷たさを感じるようになってきたこの頃は散歩がしやすくなった。小太郎の歩きっぷりに軽やかなステップが時々入ってくる。 住宅街のどこかからキンモクセイが匂っている。
「あぶな!」
と言って身を避けた。小太郎は側溝に鼻を突っ込んでいる。その横を自転車が通り過ぎた。
「自転車は左側通行です」
という声を残して。
若い人にも変わりもんがおるんやな、と小太郎につぶやいた。
作品名:ちょっとした出会いから 作家名:健忘真実