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ちょっとした出会いから

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 鳩中一郎は、おやじが営んでいた料理屋「割烹はとなか」を引き継いだ。
 親父の跡など継ぐものか、と工業高校に進学し、自動車整備士の資格を取って整備工場で働いていたが、ゴムと油の臭いよりも、家に帰るたびに匂ってくる甘辛い匂いや、カツオだしの得も言われぬ匂いに引き込まれている己を感じていた。

 2階建ての1階と2階の半分が座敷で、住まいは2階の2部屋と、その上に屋根裏部屋と呼べそうな部屋があり、12畳程度の広さがあって天井が低く、横長の窓が上部にこしらえてある。そこで一郎は起居し勉強などをしたりラジオを聞いたりして大きくなった。
 生まれた時からなじんできた香りに体が自然と反応し、自分もこの香りを作りたい、という欲求がわきあがってくるのだった。
 働いても働いても楽になるどころか、寝ること以外大半の時間を費やして働いているにもかかわらず、時々金策に駆けずりまわっているおやじを見てきて育ち、なぜこの仕事を続けているのかが不思議に思えていたのだが。

 小さな料理屋であっても、材料にこだわり味を吟味し、盛りつけ方にも工夫を凝らしているおやじ、その職人芸ともいえるものに一郎はいつしか興味を覚えるようになっていた。
 整備工場で働いて蓄えたお金で調理師学校に通いながら、おやじの味を教えてほしいとは言いだせず、いろいろな飲食店でアルバイトを続けた。が、所詮はマニュアル通りに作られていく料理で力がつくはずもない。
 おやじが60歳になった日、一郎は30歳をいくつか過ぎていたが、「割烹はとなか」を継ぎたい、と頭を下げ見習いとして仕込んでもらうこととなった。

 よき伴侶にもめぐり合い、「割烹はとなか」の近くにアパートを借りて新しい生活を始めた。
 生まれた子には「由紀夫」と名付け、かわいがった。
 自分はほとんど親にかまってもらえなかった。遊園地などへ連れて行ってもらった記憶もなく、両親揃って出かける友達を見て、とても寂しい思いをしたものだ。特に夏休みや春休みは友達のほとんどはどこかへ行っていて、親戚とのつきあいも遠のいていたので、ひとり屋根裏部屋でマンガばかりを読んで過ごしたものだ。親子の会話もなかった。
 そんな暮らしを由紀夫にはさせたくない。店の休日を日曜日に固定して、家族団欒の日とした。