ちょっとした出会いから
3回目の挑戦で、大阪国際女子マラソンにエントリーできる資格を得た。マラソン大会に出初めてまもなく、女子マラソンに出たいと思い立ち、それに向けた練習を始めて1年と数カ月。30歳をいくつか過ぎていた。
女子マラソンで走る増田明美さんをそばで見る機会があって、小柄な体で、雪が降っている中を走る姿に感動し、自身の姿をそこに描いてみたのだ。
その時はまだマラソン大会に出た事はなかったが、高校・大学で体育会系クラブに所属し、トレーニングでよく走っていたし、その後登山、特にロッククライミングを始めており、体力強化のために走っていたから、延長線上に目標を置いたにすぎない。
ランニングのトレーニング法を自分なりに研究し、徐々にマラソンタイムを短縮していった。
初マラソンは沖縄の那覇マラソン。篠山マラソンもそうだったが、沿道の声援が素晴らしく、気を大いに奮い立たせてくれた。和太鼓を打ち続けて応援してくれている姿にも感動した。
そして大阪国際女子マラソン。
長居競技場を一周半して長居公園外周へ、そして車道へ出て走る。
やっとこぎつけた大会に身を置くことができて涙が込み上げてきた。小旗を振り、ゼッケン番号と名簿を照らし合わせて名前を呼んで励ましてくれる。
夫と当時3歳の息子の姿を森之宮辺りでとらえた。
「おかあさんがんばれぇ」
と息子の声。
その声援に足が動きだしスピードが自然にアップしたから不思議だ。 ゴールしたのは最後のほうなので、沿道の応援はなくなっていたが、長居公園周辺や競技場の中にいる人たちが一段と大きな声援を送ってくれた。張り切って最後は全力で走り、ゴールした。
それから6回、阪神淡路大震災で中止となった年まで出場した。名古屋国際女子マラソン、東京国際女子マラソンも経験した。
そういったことなどを思い出しながら、チンタラチンタラ、ヨタヨタと走る今である。
トップアスリートばかりが注目されているが、すべての人にドラマはある。
大阪国際女子マラソンが終わると同時に、来年の大会に向けてのトレーニングが始まる。最良のコンディションでスタートラインに立つために、また記録更新を狙って。
大会1カ月前になると神経も緊張状態となり、ますますトレーニング行程や食事管理に気を使って、スタートラインに立つ日がやってくる。
そして!!
スタートするやいなや棄権せざるを得ない状態になった人がいる。
ひしめき合ってのスタート。300人いる選手の、中ほどから後ろの人たちは足踏み状態になり、肘は当たり、足はひっかけあい、しかもスピードがついてくると、1度たたらを踏むと周囲の人も巻き込んで将棋倒しになることがある。
救護室に連れて行かれた人がいたのだ。
翌年、
「前歯が折れた」
と、その光景を彼女は楽しげに話をしてくれた。
1年、どのような気持ちで走っていたのだろう。
作品名:ちょっとした出会いから 作家名:健忘真実