イミューンシステム
その書き込みの後に続いているのは「ゲームなんだから当たり前だろ」といった論調だ。当然と言えば当然だし、概ね俺も同意見だ。いかに作り込まれていようとゲームは所詮デジタルデータの並んだバーチャルの世界だ。リアルでないのは当たり前で、そこにリアルを求めるのはお門違いも甚だしい。
しかし、心のどこかで「リアルを求める」という意見に引っかかるところがあった。
その違和感を引きずりながら、書き込みを目で追っていると、再びある意見に目が止まる。
「リアルを求めるならゲームなんかせずに、リアルで生きてろよ」と先ほどの書き込みの主を揶揄する内容のものだった。
それを見た途端さきほどの違和感の正体が解ける。
ゲームを止めて、現実の世界に戻れば、この書き込みの主の言うリアルは手に入るのだろうか。
ここからは文意を曲解した考えだが、もしかしたらその書き込みをした誰かは、現実の世界でリアルを得ることができないがために、リアリティの満ちた仮想世界にそれを求めたのではないか。
推論の域を出ない考えだが、俺にはこの考えが的外れじゃない確信めいた実感があった。なぜなら。
この考えに至った時、自分こそがそれを求めてリアリティのある仮想世界に没入しようとしていたからだと気づいたからだ。つまり現実の世界で自分は、リアル、それが肉体感覚に基づくものなのか、精神的なものなのかはわからないが、つまりは生の実感を得られていないのだ。
現代の最高峰の技術をもって作られたゲームに満足感を得られなかった。逆に空虚感が募るばかりだったのはそういう事だったのだ。
俺は自問する。
俺の求める「リアル」とは何か。
PCCと小型擬脳素子が可能にした高度情報化社会は存在のすべてをデジタルデータの基で一元化。ありとあるゆる世界、人間をネットから垣間見る事のできる世界を実現した。
加えて、前世紀に成功した核融合による小型太陽とも言える人工の半恒久的エネルギー体の実現化以降、エネルギー問題は解決し、原子改竄及び生成技術の向上も相まって人類は生を得るための労働から解放された。
さらには、人々の不平等を失くすべく考案された「セントラルシステム」は超情報集積回路「セントラル」によって機能し、全ての資源供給や生活環境を管理し、誰一人餓える事なき理想郷を現実のものとした。