身代わり和尚
お寺に行ったものの、田吾作は何をしたらいいのかわかりません。お経だって難しい字で何が書いてあるか、ちんぷんかんぷんです。そもそも田吾作は字が読めませんでした。
仕方がないので田吾作は仏像を磨き始めました。本当はごろごろしているのが好きな田吾作ですが、さすがに埃の積もった仏像をそのままにしておいては、罰が当たるような気がしたのでしょう。
そして、お経の真似事を始めます。
「南妙法蓮華経……」
そこまでは父親の小六がよく唱えているので知っていました。しかし、その後が続きません。田吾作は困りました。そこで仕方なく口をモゴモゴさせながら、適当にそれらしく続けました。
「南妙法蓮華経、今日の晩飯何だべかー、仏像磨けば腹が減るー、お山のカラスがカーカーカー」
万事、この調子です。
それでも村人は田吾作が何かムニャムニャ言っているので、ちゃんとお経を上げていると思いました。
「いやー、田吾作の奴、立派に和尚さんをやってるでねぇか」
「いい跡継ぎが見つかったもんだ」
村人たちは口々に言いました。そして田吾作に食べ物を差し入れたのでした。
そんなある日、村のあるおじいさんが亡くなりました。さっそく田吾作は和尚さんとしてお葬式に呼ばれました。
この亡くなったおじいさんは、村でも有名なケチで欲張りでした。
村人は付き合いでお葬式には顔を出しましたが、心の中では死んで良かったと思っていました。
田吾作は例によって、いい加減なお経を上げます。
「南妙法蓮華経、あんたは死んで可哀想ー、はい成仏してくんろー」
田吾作がそれらしく読み上げるので、村人たちは本当のお経だと思っています。
お葬式が終わって、帰り道でのことです。ある村人が田吾作に話しかけました。
「本当に死んで良かっただ。あのじいさん、畜生道ってのに落ちるだべ?」
周りの村人が一斉に笑い出しました。
畜生道とは仏教の言葉で、悪い行いをした人が死んだ後、動物に生まれ変わって、食うか食われるかの暮らしを送ることです。
ところが、田吾作には畜生道の意味がわかりません。それに田吾作は怠け者ではありましたが、心根は優しく、人の悪口を言ったり、人と争ったりするのが大嫌いでした。