さあ、行きましょう
久坂は黙っていても人を集めるところがある。
その上、弁舌が巧みで、それでいて、嫌味がなく人あたりがいい。
だれもが久坂にはついていきたくなる、そう評した門下生もいる。
久坂の人脈は広い。
おそらく意図的に、しかし表面上はそうとは見えないようにして、穏やかに微笑みながら、人脈を広げてきたのだろう。
その人脈を、久坂は効果的に使う。
よく考えれば人使いがあらいと言ってもいいぐらいなのだが、その華やかな笑みにまどわされて、使われている者に使われているという意識がなかったりもする。
そのあたりは本当にうまい。
さっき本人に言ったように政治家向きだと、高杉は思う。
もし久坂が藩のまつりごとに関わるようになったらどうなるだろうか。
想像した。
ニヤリと笑ってしまいそうな、愉快な気分になる。
少しまえには感じた嫉妬は湧きあがってこない。
「それじゃあ」
のんびりとした美しい声に、現実に引きもどされる。
「ああ」
高杉はうなずいた。
そして、久坂と寺島は去っていった。
部屋にひとりになる。
この部屋は高杉だけが使っているのではない。
相部屋の相手は、中谷正巳という。
高杉よりも年長で、高杉も通っていた藩校では伝説になっている秀才であり、松風の知己でもある。
松風の塾に高杉を誘ったのは、中谷だった。
あの久坂君もよく来ています。
他にもいろいろ言われたが、その一言で心がすっと動いた。
松風の塾は城下町から少し離れた村にある。
下級武士や農民などが多く暮らす村だ。
もちろん高杉も久坂も城下町に家がある。
城下町には私塾が数多くある。
それなのに、どうしてわざわざ。
しかも、松風は異国から黒船が来航した際にその船に乗りこんで密航しようとした罪人でもある。
あの事件で、松風は士籍を剥奪された。
無給通の家の生まれであったのが、高杉の家と同じ大組という家格の叔父の家に養子に入って家督を継ぎ、兵学師範として藩校で教えたりしていた。
しかし、あの事件で処罰され、生家にもどり、そこで塾を開いた。
どうして久坂がその塾に。
興味が湧いた。
だから、訪ねてみることにした。
その時点では、入門するつもりはなかった。
城下を離れ、村に行き、塾を訪ねてみて、驚いた。
松風は塾では身分というものを取り払っていた。
大組の家の者が、士分とは認められない足軽や中間の家の者や、さらには魚屋などの町人と、対等に扱われていた。
それが塾ではあたりまえのことで、だが、高杉にとっては自分の眼を疑うような光景だった。