さあ、行きましょう
久坂は松風に憧れている。
自分もそんなふうになりたい、という憧れではない。
自分はとてもそんなふうにはなれないからこそ、という憧れである。
松風は理想家だ。
個人的な好悪の感情を判断基準にせず、長く続いてきた決まり事さえ取り払って思考し、正しいと結論を出したことを実行し貫こうとする。
まるでご婦人のようだと塾生のひとりが評したことがあるほど穏やかなひとであるのだが、そうしなけばならないと心に決めたことについては、まわりが驚愕するほど過激な行動に走ったりもする。
そして、正しいことはいつか必ず認められると信じている。
幕府から江戸に送るよう命じられたときもそうだ。
至誠而不動者未之有也
誠を尽くして対すれば、動かない者はいない。
孟子の言葉である。
それを江戸で実践すると松風は知人に書き送った。
自分の考えが正しければ、そして、自分がそれを誠実に訴えかければ、江戸の評定所の役人も動かせると思っているのだ。
綺麗事だ。
けれども、松風は本気でそれを信じている。
そして、そのことについて、自分は心配はしても愚かだと切り捨てる気にはならない。
松風の純粋さは、まるで強い光のようだ。
眼を惹きつけられる。
自分はそんなふうにはなれなくても。
だから。
護りたい。
そう強く思う。
今の国の状態を憂いてもいるが、国政は均衡の問題でもあるので、一面的な物の見方は避けたい。
それに自分にはのしあがってやろうという気もない。
だが、それでも。
たとえ完全に信じているわけではない説であっても、熱弁をふるってやる。
他人が自分の上に見る虚構を利用してやる。
そう心に決める。
久坂の口元に笑みが浮かんだ。
華やかな笑みだった。
道の左右には田圃が続いている。
刈り取られたあとの短く乾いた薄茶色い茎が、冬の夜気にさらされている。
山田市之助は寒さに肩をふるわせた。
市之助は清州藩の武家の、それも身内には藩の要職に就いている者が多い家の者である。
家は城下町にあり、ここまで歩いてくるあいだに身体はすっかり冷えてしまった。
だが、あともう少しだ。
そう思いながら、歩く。
小柄で、夜中に歩いているのには不似合いな子供に見える。
しかし、童顔であるだけで、元服は済ませていた。