さあ、行きましょう
寺島は物静かで誠実な人柄だ。
大雑把なところのある久坂が細々とした事の処理を丸投げしても、寺島は文句を言わずに着々と片づけてくれる。
安心してまかせることができるので、助かる。
一緒にいて、楽だ。
しかし、そんな相手であっても、素の自分を見せたくないと思う。
幼い頃から、容姿や頭の良さを周囲の人々から称賛されてきた。
称賛されるのは良いことだろう。
悪いほうにとらえるのは不遜であるかもしれない。
だが、自分に対するそれは度がすぎているように感じる。
自分の容姿や声についてのたとえが、人としてはありえない、神の域にまで達していることがある。
それが世辞や冗談なら笑って終わらせられる。
けれど、どう見ても、称賛した者は純粋に心からそう思っている様子なのだ。
世辞や冗談として片づければ、相手の気分を害しかねない。
そんなとき、久坂は穏やかに微笑んでおく。
幻想だ。
虚構だ。
そんなことを指摘して、なんになるというのか。
いつからか、久坂は開き直った。
まわりが期待している、本当のことだと信じているとおりの虚構を見せ続けてやろう。
その代わり、素の自分は見せない。
くだらない意地だ。
わかっている。
それに、容姿などが優れていると、人並み以上に良いこともあるが、悪いこともある。
ねたみを買う、同性から性的な対象として狙われる。
久坂は学芸に秀でていても武術のほうはあまり得意ではない。
身を護るためには、なんらかの力がいる。
だから、虚構を利用して、人脈を広げてきた。
いつか出世して藩の中枢に入りこむため、ではない。
「……それに、僕は政治の世界に身を置くより、詩を作ってのんびりと暮らしたいよ」
何気なく、視線を上のほうにやった。
凍てついたような黒々とした空に、白銀の月が浮かんでいる。
月は満ちきってはいないが、その少し足りない姿にも、眼を惹きつけられ、心を動かされる。
こんなふうに美しいと感じることに、嘘はない。
虚構はひとかけらもないのだ。
「久坂さんにはそのほうがいいでしょう」
隣で寺島が控えめな様子で言った。