荒野を往く咎人
怯えを打ち消す雄叫びをあげながら、足を踏み出したトマスは、手に血が滲むほど強く握りしめた石の切っ先を美女の左胸に突き立てる。命を貫く感触が手から全身を駆け抜け、すりつぶされるような痛みがトマスの魂を蝕んだ。一突きに体重をかけたトマスはそのまま美女押し倒すような形になって、後ろの花壇へと崩れ落ちる。
二人の人間が倒れ込んだ衝撃で散った花弁が世界を鮮やかに彩る様に舞った。
トマスの一撃は美女の肺まで達していた。
「ト……マ…ス」
流れ出る血液は真っ白なドレスを醜悪な赤に染める。それは目減りする命を表す色だ。
徐々に自らの存在が薄まっていく生命の極限ともいえる時の中あって美女は、慈愛に満ちた笑顔を湛えていた。
幾度も自らを蝕んだ心の激痛に再びさいなまれながらトマスは美女に問う。
「なぜだ」
自らの贖罪のためだけに、傷つけた人に。心を突き動かす得体も知れない情動を鵜呑みにして、自分本位に殺めた人に。愛を注いだ相手に裏切られ、魂を汚されたにも関わらず、それでも笑顔を向けられる美女に、トマスは問いを投げかける。
「なぜ、君は笑えるんだ」
「決まってるじゃない。嬉しいからよ」
美女は物わかりの悪い幼子に諭すように語る。
「貴方が今までなにをしてきたのか、それがどれだけ貴方の心を傷つけ、魂を削り、生を否定してきたのかを私は知っている」
「君は……いったい」
「それだけの地獄を貴方が歩み続けてくれたから」
美女の笑顔に涙が付け加えられた。
「やだ、最期なんだし、泣き顔なんか見せたくなかったのに、嬉しくて我慢できないわね」
「君は誰だ!!」
トマスの直感が美女の言っていることを理解したくないと強い拒絶を表す。
それでも彼女の笑顔が、涙が、無慈悲にトマスの記憶を解きほどいていく。
美女も知っているという、自分が歩んだ修羅の道。それをなぜ僕は歩き続けたのか。なぜそんな道を歩むことになったのか。幾星霜の時を経て、数え切れぬほどの激情に駆られた果てで、記憶の彼方に打ち捨てられた想いが甦る。
「貴方が地獄を越えて、もう一度私に会いに来てくれたから。それだけで、私はもうなにもいらない位幸せなのよ」
気管を埋め尽くす死の赤と歓喜に震える嗚咽とで、満足に言葉を発せられぬ美女は、それでも自分の気持ちをまっすぐに伝える。
愛する男へ。
自分を全身全霊で愛してくれた男へ。