荒野を往く咎人
自らの魂に刻まれていた本当の愛を思い出したとき、トマスはもはやなにも考えることができなかった。ただただ、止まる事のない涙があふれ出るだけだ。
百の屍を自分は越えていたというのか。
地獄から這いでた先はさらなる地獄だったというのか。
「ねぇ、トマス。最期に一つお願いがあるの」
とうに赤みを失い、死人のそれに近づいていく顔色を隠すように気丈であり続ける美女は、笑顔を絶やすことはない。
「最期に、最期に一度でいいの。名前を呼んで、トマス」
贖罪を与えた王に、凄惨な運命を課した神に、そしてなにより信じ続けると誓った愛を忘れてしまった自分への怒りとやるせなさにトマスは翻弄されていた。
心の内に膨大に沸き上がる悲しみで、トマスの心は動くことをやめようとしていた。しかし。しかしどれでも、トマスの魂は輝きを失う前に、今一度逞しくあり続けようとした。
トマスは自らに強く言い聞かす。
今、僕のすべきことは感情に振り回されて慟哭を続けることなんかではない。
地獄の果てで突きつけられた黒く、深く、昏い憎しみと怒りが心に渦巻きながら、それでもトマスの心が、魂が、壊れることなくあり続けられたのは、愛のなせる業か。
涙は止まらなかった。それでもトマスは必死に頬をつり上げ、相好を崩す。
今生の別れを笑顔で彩るために。
「愛しているよ。フィリア」
最愛の人の名前を涙とともに紡いだトマスは、生涯最高の笑顔を浮かべていた。
「私もよ。愛しているわ、トマス」
そう告げると、笑顔を絶やさぬまま、眠りにつくようにフィリアは息を引き取った。
「フィリアーーーーーーーーーーーーッッッッ」
そこに残されたのは、トマスとフィリアの思い出を象った庭園の姿をした地獄に響く一匹の獣の咆哮だった。
――END