心の中に
「それがしは一向に構いませぬ」
八坂兵十郎が丁寧に頭を下げた。
「で、河内屋殿に一大事と聞くが……?」
「はい、奉行の富田刑部の策略にて、キリシタンの廉で召し捕らわれましてございます」
「それならば、心配には及ばぬ。あの河内屋殿は何が大切かよくおわかりじゃ。踏み絵を踏むに何の躊躇いもござりますまい。それより、町方のその方が、かような心配をする方が筋違いかと思うがのう」
精進尼の瞳がクスッと笑った。
「そんな簡単なことではござりませぬ。奉行は河内屋に踏み絵も踏まさず火あぶりにしようとしているのでござりまするぞ」
「何と、それは誠か?」
さすがにその話には精進尼も驚きを隠せない。八坂兵十郎は精進尼の瞳をまっすぐに見つめた。
「だからあなた様にご相談申し上げているのです」
「わかりました。私が何とかしましょうぞ」
「と、申されますと?」
「それ以上の詮索は無用ぞ」
「はっ……」
八坂兵十郎が恭しく頭を垂れる。精進尼の口元は緩んでいたが、目は笑っていなかった。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
八坂兵十郎が恐る恐る申し出た。
「何じゃ?」
「それがしが見るに、河内屋殿は未だ心の奥底でキリスト教を信じている様子。その河内屋殿を何故、尼僧であるあなた様が庇われるのですか?」
精進尼はそっと立ち上がると、障子を開けた。
空には転がりそうな満月が輝いている。
「見事な月じゃのう……」
八坂兵十郎も月をまじまじと眺める。
「きっと神仏の国でお釈迦様もイエス様も同じ月を見ているに違いはあるまいて」
「なるほど……」
「人が人らしく生きる道を説くのに、仏もキリストもござりませぬ」
「恐れ入りましてござりまする……」
この時、八坂兵十郎は精進尼の背中に数多くの悲しみが潜んでいることに気が付いた。
翌日、富田刑部は朝から浮き浮きとしていた。その様が周囲の与力や同心にも見て取れる程である。よほど河内屋の処刑が楽しみなのだろう。
富田刑部は白州で刑を言い渡した後、すぐさま刑を実行するつもりでいた。無論、卯兵衛たちは踏み絵など見てもいない。こうして冤罪は作られていくのだ。
「今日は日本晴れじゃのう」
富田刑部が部下たちに浮かれ顔で声を掛ける。愛想笑いを返す者もいれば、目を背ける者もいる。
「富田はおるか?」