心の中に
そんな河内屋の暖簾を潜る者がいた。北町奉行所の同心、木村陣内(じんない)である。木村陣内は店先へドカッと座ると、十手をちらつかせながら、薄ら笑いを浮かべた。
その木村陣内を番頭の平次は苦虫を潰したような顔で見つめている。
「どうせ、おめえんところも、ご定法に外れた商いをしているんだろうが」
木村陣内は袖から手を覗かせる。その手は、明らかに賄賂を要求している手だ。俗に言う「袖の下」である。
「手前どもはご定法に則った商いをしておりますので」
平次は平然と言って退け、木村陣内を一瞥した。
「なにい?」
木村陣内の顔色が変わった。青筋を立て、怒りを露にしている。
「てめえじゃ話にならねえんだよ。旦那を出せ、旦那を!」
木村陣内が吠えた。現代の世においても、言い掛かりをつけ、苦情を訴える輩の常套句である。
その時、暖簾を潜ってきたもう一人の男がいた。
「木村、貴公、袖の下を強請るとは同心にあるまじき行為ぞ。恥ずかしくは思わないか!」
その男は木村陣内を一喝すると、胸倉を掴んだ。
「え、そ、そのこれには理由が……」
「ほう、ではその理由とやらを奉行所でゆっくりと聞かせてもらおうか」
男が手を緩める。木村陣内は逃げるようにして、河内屋を後にした。「けっ」と唾を吐き捨てながら、舌打ちを漏らして去っていった。
「申し訳ござらぬ。あのような輩がはびこるとは、奉行所も廃れたものよ」
男が嘆くように言った。その男こそ、今や筆頭与力となった八坂兵十郎であった。
あの名奉行、加納主税率いる北町奉行所が、どうしてここまで廃れてしまったのであろうか。
実は加納主税は二年前に逝去していた。享年六十七歳であった。その後任として、富田刑部(ぎょうぶ)が奉行となったが、巷では賂を積み、その職を得たとのもっぱらの噂である。富田刑部が北町奉行に就任後、加納主税を苦々しく思っていた一部の同心たちが、袖の下を強請るなどの暴挙に出たのである。それは日を追うごとに常態化し、横行していった。
無論、加納主税の意志を引き継ぎ、真面目に職務に取り組む与力や同心も多かったが、果たして富田刑部の彼らへの評価はいかがなものであったのであろうか。だが、もはや北町奉行所に秩序はなく、また、組織でもなかった。
「これは、これは、八坂様。只今、旦那を呼んで参りますので」