心の中に
精進尼の脳裏には長吉に打ち据えられて、無言で堪えていた、まだ幼子の茂吉の姿が浮かんでいた。
「はい」
卯兵衛は神妙な顔つきで返事をした。だが、精進尼の表情にはすぐ緊張が走る。
「それで、この尼に何をしろとおっしゃるのですか?」
卯兵衛はジッと精進尼の瞳を見つめた。
「この茂吉を丁重に葬ってもらいたいと思いまして」
「私は御仏に支える身。それを承知の上でのご依頼か?」
精進尼が厳しく問い詰めるように、卯兵衛を見つめ返した。
「何もお寺さんで葬儀を上げるだけならば、尼僧に頼みは致しませぬ。尼僧はこの世の裏も表もお見通しでございましょう。ならば……」
「もう、よい」
精進尼が卯兵衛の言葉を遮った。
「そこから先は言うでない」
そして、しゃれこうべをまるで、高価な陶器でも扱うかのように、恭しく持ち上げた。
「因果とは申せ、この者は幸せよのう」
「ははーっ」
卯兵衛が深く頭を下げた。
店に帰った卯兵衛は長男の長太郎をあやすおみつを、目を細めて眺めていた。
「なあ、おみつ」
「あい」
「これなんだが、仏壇の裏に仕舞っておいても構わないかい?」
そう言って卯兵衛が取り出したのは、茂吉の形見の十字架だった。
「こうやって、あなたと巡り会えたのも神様のお導きかもしれないですね。私にはどの神様や仏様を信じていいのか未だにわからないけど、自分の中の神仏を殺しちゃいけないんでしょうね。いつかあの尼さんの言っていたことは本当かもしれないですね。茂吉さんは家族の仇でもあるけど、この子や私の恩人でもあります。あなたの好きにしてください」
おみつは目を宙に泳がせながら言った。
「有り難い。そうさせてもらうよ」
卯兵衛は立ち上がると、仏壇の裏にそっと十字架を隠した。そして、手を組んで祈りを捧げる。
(今、こうして、ここにいられることを心から感謝します。アーメン……)
卯兵衛の祈る姿をおみつは微笑みながら見つめた。長太郎も安らかな吐息で眠りに就いたようだ。
今、河内屋の者の心を乱すものは何もない。
夜はこうして更けていった。
それから更に六年の月日が流れた。
卯兵衛とおみつの間には、もう一人、妙という長女が誕生していた。今は数えで三つになる。長男の長太郎も七つで、やんちゃ盛りだ。
河内屋の中はいつも活気に満ちていた。