心の中に
その熊笹の林も抜けると、鬼女山は山頂を迎える。するとどうだろう。山頂付近に微かな明かりが見えるではないか。
与吉は用心深く、その明かりへと近寄った。そこには粗末な小屋がある。
(一体、誰が……?)
与吉の脳裏では再び、鬼女の恐怖が頭を擡げる。
与吉はソーッと小屋の中を覗き込んだ。すると、そこには歳にして十七、八の娘が正座をしていたのである。着物は粗末ではあったが、楚々とした印象の娘である。
「いつまでもそんなところにいないで、お入りなさいな」
娘は背を向けていたが、与吉の方へ向き直ると、そう声を掛けた。与吉の頭から鬼女の恐怖が完全に払拭されたわけではないが、娘のにこやかな笑顔につられ、つい「ああ」と返事をしてしまった。
こうして、与吉は扉を開けて、小屋の中へ入ったのである。
娘は囲炉裏に木をくべながら、与吉に座るように促した。
「こんなところで、何してるだ?」
与吉が娘の存在を訝しがるのも無理はなかろう。夜中にこんな山中で、若い娘が一人、山小屋にいるなど、今の時代でも不可解だ。
「道に迷ってしまって」
娘は淡々と答えた。与吉は娘に自分と同じ匂いを感じ取っていた。街道を行かず、夜中に山中を抜けて、関所破りをするなど、表街道を通れない身の上に違いはなかった。あるいは、どこかの遊郭から逃げ出してきた娘かもしれぬ。
「よかったら、これをお食べ」
与吉は懐から握り飯を出すと、一つを娘に差し出した。
「これは大切なものではございませんか?」
娘は与吉の目を見据えて固辞した。
「なーに、こんな夜中に山中を彷徨っているお前さんも、儂と同じようなものよ」
与吉はなおも握り飯を娘に差し出す。娘はその握り飯を恭しく受け取った。
「お前さんを見ていると、娘のことを思い出しちまってなあ。生きていれば、お前さんと同じくらいの歳か」
与吉の口元がフッと緩んだ。
「その娘さんはどうされたのですか?」
娘の言葉遣いは遊女上がりにしては、いやに丁寧であった。
「儂がヘマをやって庄屋の馬を死なせてしまってのう。泣く泣く人買いに売ったんじゃ。今でも娘が連れて行かれる時の泣き顔は忘れることができんて」
「今でも娘さんのことを愛されているのですね?」
娘が伏し目がちに言った。
「小さいころから鈴が好きな子でのう。スズという名じゃった。いつも鈴を肌身離さず持っていたっけ」