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心の中に

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「お内儀さん、私の心の中にも生きている人がおりますよ。それは、愚かな殿に手籠めにされた武士の妻とその亭主です。その武士は殿を斬り捨て、自害した。私は妻が手籠めにされし時、何もできなんだ。そのことが心に刺さってましてね。その二人のことは一生忘れまいと誓いましたよ。同時に愚かな殿のことも忘れられません。その罪も私の心の中に生きているのでございますよ。おわかりですかね?」
 おみつに寄り添いながら、そう語った平次の目からもまた、熱いものが流れていた。
 おみつは平次を見上げた。
 茂吉を乗せた馬は次第に遠ざかっていった。

 やがて、茂吉を乗せた馬は刑場へと到着した。刑場を囲う垣根にも、既に人だかりができている。この時代の磔刑は公開処刑であった。それは、みせしめのためとも言われている。
 人だかりの最前列には卯兵衛の姿があった。声は発していないが、何やら口を動かしている。
(どうか、茂吉をパライソに、神のみ国にお導きください。アーメン)
 読唇術を心得ている者であれば、その言葉は読み取れたかもしれぬ。しかし、誰も皆、茂吉に注目していた。
 茂吉が磔に結わえつけられる。それは、あたかも人の罪を背負って十字架に架けられた、イエス・キリストのようにも卯兵衛には思えた。
(この世に生を受けて、罪を犯さぬ者はおりませぬ。どうか、茂吉の魂をお救いくだされ。アーメン!)
 卯兵衛の祈りは続く。
 そんな卯兵衛の祈る姿が見えたのだろうか。茂吉は安らかな顔で天に召される時を待った。
 槍を持った非人が二人、茂吉に近づく。非人はこの時代、処刑の執行などにも携わっていた。それがまた、差別を助長する一因だったとの指摘もある。
 茂吉と一人の非人の目が合った。その非人こそ、松平伊豆守に直訴し、鈴丸の嘆願により助命された与吉であった。
 茂吉も与吉の顔は知っている。だがこの時、果たしてそれが与吉と気付いたかどうかはわらぬ。ただ、お互いに近しいものを感じたのだろう。目を合わせると、頷き合った。
 突風が土埃を舞い上げた。
「始めい!」
 役人が大声を張り上げた。非人が「リャ、リャ!」と声を掛けると、茂吉の前で槍が十文字に組まれた。いよいよ、刑の執行である。
 微かだが茂吉は笑った。次の瞬間、与吉の槍は茂吉の左脇腹から肋骨の下を通って、右の肩へと貫通した。
作品名:心の中に 作家名:栗原 峰幸