心の中に
既におみつは、いつ子供が産まれてもおかしくはない臨月であった。そこに凶盗の襲撃に遭い、衝撃で陣痛が始まったのだ。
「あんちゃんのやや子は、おらが取り上げてやるだ」
「茂吉、お前……」
「いいから、布団へ寝かせるんだ。舌を噛まないように手ぬぐいを咥えさせるんだ」
卯兵衛は茂吉の指示に従う。既に分娩は始まろうとしていた。産道は開き、子供の頭が見え隠れしていたのである。これでは産婆を呼ぶ暇などない。
「お内儀、口で息をしながら力むんじゃ。もう少しの辛抱じゃぞ」
茂吉に励まされ、おみつは痛みに耐えながらも力む。
「茂吉、お前はやや子を取り上げたことがあるのか?」
卯兵衛が怪訝な顔で茂吉の顔を覗き込む。
「おらはあんちゃんが思っている以上に修羅場を潜り抜けてきただよ」
そう語る茂吉の額からは汗が滴っていた。
おみつは分娩の痛みに必死で耐える。そして力みながら、新たな生命を生み出そうとしている。それもそのはず、それは卯兵衛とおみつの愛の結晶なのだ。
この時のおみつには、卯兵衛と茂吉の会話は、ほとんど耳に入っていなかった。茂吉が黒装束の侵入者らしきことは、朧げながら理解できたが、今は彼に縋るより他はなかった。
程なくして、威勢のいい赤子の産声が河内屋の中に響き渡った。
元気な男の子であった。
茂吉は黒装束のまま、発とうとしていた。向かう先は無論、番屋である。
「茂吉、今からでも遅くはない。考え直す気はないか? 私が悪いようにはせん」
卯兵衛はそう言ったが、茂吉は首を横に振った。
「俺はこの河内屋を以前にも襲ったことがある。その時は一家を皆殺しにしたのよ」
「じゃあ、蛍火一家って言うのは……」
卯兵衛が驚き、言葉に詰まった。
「ああ、俺たちのことさね」
「何でまた、お前が?」
茂吉は「はあーっ」と深いため息をつくと、胸元から煤けた銀の十字架を取り出した。
「俺は神様が与えてくだすった試練に耐えることができなんだ愚か者だ。あの不入谷の湯治場でもそうだった。あんちゃんを置き去りにして、俺一人で逃げ出した。そこで拾ってくれたのが、蛍火の頭だったってわけさ」
「なるほどのう」
頷く卯兵衛の瞳は問い詰めるわけでもなく、むしろ同情の色を湛えていた。