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心の中に

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「それがし、武士を捨てようかと思っております」
「ほう、それはまた、どうして」
 卯兵衛が驚きを隠せず、呆気に取られたような顔をしていると、青木平内は更に膝を詰め寄った。
「このまま河内屋殿の好意に甘んじて、ただ用心棒としてのみ無駄に飯を食っていては申し訳が立ち申さぬ。そこで私は武士を捨て、この河内屋の使用人となりたいのでござるよ。こんなそれがしだが、使ってはくださらぬだろうか?」
 卯兵衛は腕組みをすると、深く目を閉じた。沈黙の時間が周囲を支配する。青木平内にとっては、永遠に続く沈黙とも映ったかもしれぬ。
「先生は本当にそれでよろしいんですね?」
 卯兵衛が目を開けると、静かな口調でそう言った。
「もちろんですとも。何も私の生きる道は武士だけではござらぬ」
「後戻りはできませんよ」
「妻も心得てござる」
 卯兵衛が青木平内の手をギュッと握り締めた。
「ちょうど、商いも手を広げるところで有り難い話でございます。これから、番頭さんを置こうと思っていたところなんですよ」
「旦那様、それじゃあ」
 卯兵衛が青木平内の瞳を見据えてしっかりと頷いた。
「名前も町人のそれに変えないといけませんね。平次っていうのはどうですか?」
「気に入りましたよ、その名前」
 青木平内、いや、たった今、河内屋の番頭になった平次が嬉しそうな笑みをこぼした。

 ある晩、平次は遅くまで帳面と睨み合っていた。
「あんまり、根を詰めなさりまするな」
 おみつが更に大きくなった腹を摩りながら、そう語りかけるが平次は首を横に振る。
「私はようやく生き甲斐を見つけましたよ。以前に城勤めをしていた時、金勘定をしていたこともありましてな。この忙しい今が正念場でございます」
 そんな誠実な平次の姿を、おみつは目を細めて眺めていた。
「お身体に障らぬよう、お気を付けて……」
「そういうお内儀さんも、身重の身。くれぐれもお気を付けくださいまし」
 おみつはクスッと笑って、奥へ下がっていった。行灯の明かりを頼りに、平次は黙々と帳面をつけている。
 そして時は丑三つ時に達しようとしていた。
 平次が帳面の整理を終え、帰り支度を整えていると、ただならぬ気配を感じた。裏手から、荒々しく扉を蹴破る音である。
 平次に胸騒ぎが走った。咄嗟に角材を握り、音のする方へ駆けた。
作品名:心の中に 作家名:栗原 峰幸