心の中に
卯兵衛とおみつは仲睦まじい夫婦であったが、悩みが一つだけあった。子宝に恵まれなかったのである。
夫婦としての愛の営みは欠かさなかった。卯兵衛はおみつを慈しみながら愛でたし、おみつもそれに応えた。
しかし愛の営みが行われたからといって、必ずしも子宝に恵まれるとは限らない。
「ねえ、あなた。子宝に恵まれるようにお百度参りに行きたいんだけど、一緒に行ってくださらないかしら?」
おみつがある日、卯兵衛にそう打ち明けた。卯兵衛は神妙な顔つきをし、腕組みをした。
(ふーむ……。寺で手を合わせ、神社でも手を合わせるのか……)
卯兵衛の心の中には、何か釈然としないこだわりのようなものがあり、引っ掛かっていた。それは己があの牢内で聖母マリアに出会ったからかもしれない。
だが卯兵衛はおみつの願いを聞き入れることにした。おみつのしたいようにさせてやることが、今は一番よいと思ったからである。
「いいともよ。お前の好きにおし。私も付き合おうじゃないか」
「本当? 嬉しい」
おみつは卯兵衛に抱きついて喜んだ。
卯兵衛は考えた。奉行所の白州で踏み絵を踏んだ時、形にはこだわらないことを決めたはずだと。聖母マリアは「神のみ国に、心の中にいる」と言ったことを思い出したのである。
だが、どことなく腑に落ちない卯兵衛の表情が引っ掛かったのだろう。おみつが向き直って卯兵衛に尋ねた。
「やはり、気になりますか?」
「いや、別にな……」
そうは言ってもおみつは卯兵衛の態度が気になるらしい。おみつは改まると、瞳の奥を覗き込んだ。
「あなたの心の中にイエス様がいらっしゃることは私も存じております。こうして私たちが結ばれたのも、イエス様のお導きなのかもしれません」
「おみつ、お前……」
「ただ、私の父母や弟は寺にお墓があります。そして、一家でよく神社に初詣に行ったものなのです。私は今まで自分が家族と共に生きてきた証としても、お百度参りをしたいのです」
そう言うおみつの瞳は真剣だった。
「わかっている。わかっているともよ」
卯兵衛は優しく頷き、おみつを抱きしめるのだった。
それからというもの、店を閉めた後、卯兵衛とおみつは近くの神社にお百度参りを行った。卯兵衛ももちろん、神社で手を合わせる。願掛けは毎夜毎夜続いた。