心の中に
親方が青木平内を見下すように言い放った。
「そこを何とか」
「こちとらも商売なんでね。使い物にならん者をいつまでも雇っておくわけにはいかねえんで」
青木平内は項垂れながら、泥まみれの足を桶から引き抜いた。そのまま呆然と立ち尽くしている。寒風が乱れた項を容赦なく吹き付ける。
空はどんよりとした曇り空だった。今にも白い物が落ちてきそうな空である。その寒空の下を青木平内は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
「あの、もし先生……」
そんな青木平内に声を掛ける者があった。卯之吉である。
「おお、卯之吉殿。心配していたぞ。何でも町方に捕らわれたと聞いておったのでな」
青木平内は人懐っこい笑顔を浮かべて、卯之吉を見た。今の青木平内にとって同郷の者との再会は、心が和む一時なのであろう。
「へい、まあ、あっしは何も悪いことはしておりませんのでね。無罪放免でさあ」
「それはようござった」
青木平内は卯之吉の釈放を心から喜んでいるようであった。その嬉しそうな表情を見ればわかる。
「おっ、卯之吉じゃねえか」
親方も嬉しそうな顔をして寄ってきた。
「その節はご迷惑をお掛けしました」
卯之吉は親方に丁寧に頭を下げた。
「おめえみてえな男に河内屋殺しなんて仕業はできねえよ。巷じゃ、蛍火一家の仕業とのもっぱらの噂だ」
親方は腕組みをしながら語った。どうやら、親方は情報通のようである。もっとも、この時代の江戸では辻々で瓦版が売られており、それを買い求める者も少なくなかった。
「また、働いてくれるな」
親方が卯之吉の肩をポンと叩く。その瞳は期待に満ちていた。
「すみません、親方。あっしは今度、商いを始めることにしたんで」
「商い?」
その言葉には親方も青木平内も驚きを隠せなかった。
「実は河内屋の立て直しをするんで。そこで先生にご相談なんですが、この物騒な世の中ですし、ひとつ、用心棒を頼まれちゃあくれませんか?」
「それがしが、でござるか?」
青木平内は口をポカーンと開けたまま、呆けた顔をしている。
「時に先生、こちらの方は確かでしょうな?」
卯の吉が刀を振り回す仕草をする。
「これでも、多少は腕に覚えがござるよ」
「それなら決まりでやんすね」
青木平内の顔がほころんだ。卯之吉もまた、笑う。