心の中に
「卯之吉さんは下手人ではありません。卯之吉さんは河内屋の異変に気が付いて、命を賭けて私を助け出してくれたのです。そして、まだ下手人が近くにいるかもしれないと言って匿ってくれました。口が利けなくなった私の面倒も見てくださいました。こんな良い人が何で捕まらなければならないのですか?」
一同皆、おみつが喋り出したのには驚愕した。それは卯之吉とて例外ではなかった。
「お、おみつ……、お前……」
おみつの声は澄んだように美しかったが、愛する者を守ろうとする気迫に満ち溢れていた。その少女の慟哭にさすがに加納主税の顔も怯む。
「ふーむ……」
加納主税は扇子を手元で、少し閉じたり開いたりしながら唸った。そして続ける。
「おみつ、その方の申すことに間違いはないのだな?」
「はい!」
おみつのしっかりした声が乾いた空気によく響いた。
「なるほど、卯之吉が河内屋一家殺害の下手人ではないことはわかった。しかし卯之吉の胸元からこのような物が落ちてのう……」
加納主税の手には卯之吉から取り上げた、小さな銀の十字架が鈍く光っていた。
「それは私が両親の形見でございます。私はキリシタンではございませぬ」
卯の吉が咄嗟に言って出る。
「ほう。それでは踏み絵が踏めると申すのだな」
加納主税がニヤッと笑った。そして卯之吉を見下ろす。
「もちろん……。踏めますとも!」
卯之吉の前に踏み絵が用意された。聖母マリアが赤子のキリストを抱いている木彫りの板。
卯之吉はその彫刻をジッと見つめた。そして聖母マリアが夢とも現実ともわからない、確かな記憶の中で言った言葉を思い出す。
(踏み絵の中には聖母マリア様もキリスト様もいない!)
卯之吉はそう心の中で呟くと足を進めた。加納主税以下、一同は卯の吉の足に注目している。
卯之吉は震える足を伸ばす。土の付着した汚れた足。しかし盗っ人から足を洗い、清い金銭を稼いだ足でもある。一歩、また一歩とその足は踏み絵へと近付いていった。
にわかに足の震えが増したように思えた。しかしその足は吸い寄せられるように、踏み絵の上に乗った。確かに乗った。
それを見た役人たちからは「おおーっ!」という声が漏れる。
加納主税は膝を扇子で一回、ポンと叩くと張りのある声で言った。
「卯之吉、その方は確かにキリシタンではない。よって無罪放免じゃ」