心の中に
与吉は遊女の顔をまじまじと見つめた。眉間に皺を寄せ、悲痛とも思える面持ちをしたその遊女は必死に与吉の袖を掴み、離さない。
「あ、ああ……」
遊女の気迫というより、懇願に惹かれるように与吉は頷いた。
そこは吉野屋という遊郭だった。それほど華やかな店ではないが、老舗のようだ。
与吉は遊女に引かれながら、暖簾をくぐった。すると遊女とは対照的な、にこやかな笑顔で、遣り手の婆が出てきた。
「まあまあ、お客さん、ようこそいらっしゃいまし。どうぞ、ごゆるりとお遊びくださいませ」
遣り手の婆はしたたかな笑いを浮かべ、与吉を二階の客間へと通した。そこには煙管が置かれ、煙草も吸えるようになってはいるが、与吉は煙草を吸わぬ。
階下では遣り手の婆が、先程とは打って変わって厳しい顔を遊女に向けている。
「いいかい。今度、お客さんを怒らせたりしたら、お仕置きだよ」
「はい……」
遊女は俯きながら、小さく頷いた。
「名は何というだ?」
床支度を整えている遊女に与吉が話し掛けた。
「お里と申します」
遊女が力なく答えた。
「何か、理由ありのようじゃのう」
お里という遊女は下唇をギュッと噛み締め、膝に置いた手を固く握り締めた。
「うちは荏原郡の百姓だっただが、うちの馬が死んで、十両で売られただ」
「そうかい……」
この時、与吉の脳裏には、やはり売られていった愛娘、スズの泣き顔が浮かんでいた。
スズがお里と同じように苦界に身を落とされていたとしたら、親としてその身を案じるのは当然のことといえよう。
「実は儂の娘も売られてのう……」
「えっ?」
お里がハッとして、与吉の方を向く。
「儂は庄屋の下人でのう。儂の不手際で庄屋の馬を死なせてしもうた。それで娘を……。可哀想なことをしたもんじゃ」
与吉は火鉢に手を翳しながら淡々と語った。だが、その背中には寂寥が漂っている。
「儂はな、明日、ご老中の松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)様に直訴するつもりじゃ。この世の納めにと思って遊ぶつもりじゃったが……」
「直訴!」
お里が両手で顔を覆った。与吉がゆっくりとお里の方を向く。その肩は僅かに震えていた。
「直訴などされたら、お命が……」
そこから先は言葉にならなかった。