心の中に
「殿がこれでは天下のご政道の示しがつき申さぬ。日頃より、鷹狩り、犬追う者などに現を抜かし、領民をまったく顧みない。先日のキリシタン狩りも儂は反対したのだ。それにあのご病気はのう。比度は仕える侍の妻君とのこと。何も起こらぬはずはなかろうて……」
田島蔵人は苦虫を潰したような顔をして、長い廊下の向こうへ消えた。
田島蔵人の予感は的中した。
翌朝、みよは城内で己が喉を突き、自害して果てたのである。
これが百姓や町民であれば、遺体を引き渡さずに闇に葬ることもできたかもしれない。
しかし、みよは軽輩とはいえ、徒衆として禄(ろく)を食む侍の妻である。遺体を桑原左門に引き渡さないわけにはいかなかった。
当然のことながら、桑原左門は憤慨した。物言わぬ妻の女陰(ほと)からは、邪気のこもった白濁色の液体が流れ出していたからである。
桑原左門は己に操を立ててくれたみよの頬を、愛しそうに撫でると、険しい顔付きで宙を見つめた。その瞳は憎悪に燃えていた。
「桑原! 己の身をわきまえい!」
城中の廊下に動揺した声が響く。声の主はみよを連れに来た、あの徒目付である。
「退けい!」
襷を掛けた桑原左門は徒目付を突き飛ばした。徒目付は尻餅をついて倒れる。
そんな徒目付の情けない姿には目もくれず、桑原左門は持立長門守の間を目指し、ズカズカと進んでいく。
周囲の侍はただオロオロするだけだ。誰ひとり、刀を抜いて止めようとする者はおらぬ。
ガラッ……!
派手な音を立てて、時常公の間の襖が開いた。
「何じゃ、騒々しい」
事態の深刻さすら把握できぬ、愚かな藩主は肘掛けにもたれたまま、つまらなそうに顔を歪ませていた。
だが桑原左門が抜刀するのを見て、顔色が変わる。
「な、何をする。予は持立藩主、時常であるぞ。お主の主君であるぞ!」
「主君ならば何をしても良いというわけではあるまい。妻が敵を取らせてもらうぞ」
桑原左門がにじり寄る。
「す、するとお主が桑原左門……」
「いかにも。貴様に手(て)籠(ご)めにされ、自害して果てたは、我が妻みよだ」
白刃は時常公の目前まで迫っていた。
「あ、あれは上意じゃ……。だ、誰か出会えい! 狼藉者じゃ、斬って捨てい!」