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カサゴ

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「いいよ」
「でも、もう少しこのまま……」
 功一はそっとこずえの肩を抱き寄せた。

 功一が実家に戻ったのは二十四時を回ってからだった。心配していた両親は功一の帰りを寝ずに待っていた。功一もこずえと別れた後、実家に連絡は入れておいたが、帰りが遅くなったことを両親に詫びた。
「お前、どういうことだ?」
 鉄夫は苛立ちを隠せずに、功一を問い詰めた。
「ごめん。彼女から突然連絡がきて……」
「彼女?」
 鉄夫も律子も目を丸くした。
 功一は入院中にこずえと知り合ったこと、彼女がアダルトビデオに出演していたこと、そして彼女と真剣に交際を始めようとしていることを両親に率直に話した。
「母さん、酒だ、酒!」
「まあ、また飲むんですか?」
「功一に彼女ができたっていうんだ。めでたいじゃないか」
「でもねぇ。母さんはちょっとアダルトビデオっていうのが引っ掛かるんだけどねぇ」
「いいじゃないか、若い者同士、好きにやらせれば。こいつは今まで女に縁がなかったんだぞ。いや、めでたい、めでたい」
 鉄夫は愉快そうに笑いながら、一升瓶を取り出して、湯飲みに注ぎ始めた。そして、それをグイと煽る。つまみなどいらぬ。息子の話がつまみなのだ。
「それにしても入院して彼女を見つけるとは、これこそ正しく怪我の功名だな」
 鉄夫は既に二杯目を注いでいる。
「ところで父さん、日曜日の釣り、こずえを誘ってもいいかな?」
「おお、そりゃ構わんが、彼女、気を遣わないか?」
「こずえも釣りに興味があるみたい。以前、ブラックバスを釣ったことがあるんだって。それに父さんや母さんにも会いたいって」
「そうか、そうか」
 鉄夫の目はもう眠たそうだ。律子は困ったような顔をしている。功一はこんな家族に支えられてつくづく幸せだと思った。そしてこの時、歯車はすべて順調に噛み合い、世界は功一とこずえを中心に回っているように思えた。
 功一は部屋に戻ると、そそくさと携帯電話を弄りだした。

 そうは言っても、こずえは緊張していた。釣りの当日、功一が迎えに行った車中でのことである。
「ああ、何だかドキドキする」
「気さくな親父だし、心配する必要はないよ」
「昨夜は眠れなかったのよ」
 こずえが眠たそうな目をこする。こずえとは朝五時に本厚木駅で待ち合わせをしたのだ。
 ハンドルを握る功一は半ば安堵していた。昨日のデートで話をしていたとはいえ、こずえがミニスカートで来ないか心配だったのだ。しっかりとパンツ姿で現れた時には、正直ホッとしたのだった。
 鉄夫は自分の車で先に船宿へ向かっていた。「若い者は若い者同士で……」などと言っていたが、それでも気を遣っているようだった。
 朝の東名高速道路は空いていた。海老名サービスエリアでおにぎりを買うが、こずえは緊張のためか、喉を通らないようだった。功一が「船酔いするから」と言うと、無理にお茶で流し込んだ。小豆色の軽自動車は保土ヶ谷バイパスを抜け、横浜横須賀道路へと進入し、朝比奈インターチェンジで降りる。テールランプはまばらだった。功一は鉄夫に書いてもらった地図の通りに車を進めた。
 金沢八景はさすが船宿銀座である。ここかしこと船宿がひしめき合っている。そんな船宿群を横目で眺めながら帰帆橋を渡り、一つ目の信号を左折して「新健丸」という船宿に着いた。
「よう、父さん」
「早かったな」
 鉄夫はニヤニヤ笑いながら、竿をケースから取り出していた。功一とこずえは車から降りると、少し改まった面持ちになる。
「父さん、紹介するよ。今、お付き合いしている、野原こずえさん」
「始めまして、野原こずえです」
 こずえが深々と頭を下げた。
「いやー、どうも始めまして、功一の父の鉄夫です。今日は済みませんねぇ。息子が釣りなんかに誘っちゃって……。あの、いろいろ教えますんで大漁確実ですよ」
 鉄夫は帽子を脱ぎ、人懐っこそうな笑みを浮かべた。その微笑にこずえの肩の力が抜けていくのがわかった。
「今日はよろしくお願いします」
 こずえは深々と頭を下げた。
「いい子じゃないか」
 鉄夫が功一にそっと耳打ちをした。
「おはようございます。荷物はカートに載せてください」
 船宿の若女将が声を掛けた。続いて船長がやってくる。
「今日はどの辺に行きます?」
 鉄夫が船長に尋ねた。角刈りだが丸顔の温厚そうな船長だ。
「今日は観音崎沖だね。昼から午後にかけて下げ潮が利くから狙い目だと思いますよ」
 船長は道具をカートに載せながら、屈託のない笑顔で答えた。
「父さん、最近はこの船によく乗るのかい?」
 功一が鉄夫の顔を覗き込んだ。
「ああ、この新健丸は親切だぞ。馴染みの船でなければ、お前やこずえさんを乗せるわけにいかないからな」
「父さんは最近、金沢八景に来ているの?」
「東名高速を使うと東京湾は案外と近くてな。この歳になると遠征はもうかったるくって……」
 鉄夫が照れたように笑った。
「今日はご家族で?」
 船長が荷物を積み込みながら、愛想よく笑った。
「ええ、息子とそのコレなんですよ」
 鉄夫が小指を立てた。船長は「ははぁ」という顔をし、微笑んでいる。功一もこずえも顔を見合わせた後、船長に一礼をした。船長は「昼過ぎには下げ潮が利くから、いい釣りできるよ」と気さくに声を掛けて船に乗り込み、餌の準備に取り掛かっている。すると、程なくしてエンジンの音が轟く。
 実際、「新健丸」は釣り雑誌などにもよく掲載される、人気の船宿だ。春から夏場にかけては主にカサゴを狙い、秋冬にはイシモチを狙わせてくれる。ホームページこそアップされていないが常連で賑わう宿で、初心者にも親切で丁寧なことで知られている。また、ここの船宿特製の仕掛けはちょっとした工夫が施されており、よく釣れるのだ。
「お父さん、一つご指導、よろしくお願いします」
 こずえが改まり、鉄夫に頭を下げた。
「いや参ったな、お父さんかぁ。あははは、わかりましたよ、まかせなさい」
 鉄夫が豪快に笑ったところで、若女将から声が掛かった。
「そろそろ、船が出ますよ!」

 船はゆっくりと桟橋を滑り出した。客は鉄夫と功一、そしてこずえの他に総勢十名程を乗せているだろうか。船長は若女将に「行ってくるよ」と元気良く手を振った。その仕草が爽やかだった。客を乗せた船は、八景島シーパラダイスの脇で一旦停泊し、スパンカーと呼ばれる帆を張った。それからフルスロットルで観音崎沖を目指す。金沢八景からは三十分程の船旅だ。
「船って気持ちいい」
 こずえが髪を風に預けながら呟いた。そして帽子を被りなおす。こずえはトモと呼ばれる船の船尾に陣取っていた。その前に功一、鉄夫と並ぶ。トモはほとんど揺れないし、波も被らない。レインウェアを着込んでいないこずえには丁度よい席だ。もっとも凪であるから波を被る心配もなかったのだが。
 こずえは船が切る風を全身で感じているようだ。時折、深呼吸をする。そして、瞳は遠くの景色を捉えていた。船のエンジンが立てる爆音も、吹き付ける塩辛い風も、そして大海原の懐も、すべてこずえの五感を刺激していた。
「あの近くに見えるのが猿島だよ」
 鉄夫が横須賀方面を指差さす。
「へえー。こんな船旅なんて初めて」
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸