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カサゴ

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 開放病棟では作業療法などでこずえと一緒にレザークラフトなどを作って過ごしていた功一であった。今まで病院の提示していたプログラムには乗り気ではない功一であったが、こずえとならば楽しく過ごすことができた。二人は相変わらず仲が良かった。こずえは功一に寄り添うようにして、いつも一緒にいた。功一には自然な関係であった。こずえと一緒にいると何故かホッとできるのだ。まだ正式に付き合っていたわけではないが、こずえは功一にとって限りなく恋人に近い存在であった。時に功一の病室にこずえが出入りし、それを看護師に見咎められることもあった。それでも、二人にはまるで高校生が校則違反をするようなスリルと楽しみを覚えていた。
 開放病棟に移ると届け出れば外出もできる。こずえと功一は連れ立って近くの駅前にあるバーガーショップへ出掛けた。こずえは外出用としてまたミニスカートを穿いてきた。脚の曲線美が際立って見える。
バーガーショップの二階席でこずえと功一は向かい合って座った。普段冷めた食事しか口にしていない二人にとって、熱いポテトがご馳走に見えたものである。普段、何気なく口にしていたポテトを食べられることが幸せだった。
「このポテト、一緒に食べよう」
 こずえが悪戯っぽく笑った。小悪魔のような笑みだ。
 こずえと功一は一本の長いポテトを両端から口に咥えた。お互い、中心に向かって食べ進んでいく。すると、中央で重なる唇。ルージュのしとやかさに、ほんのりと塩味を感じる功一であった。
 こずえがクスッと笑った。功一もクスッと笑う。このバーガーショップの二階席には他にも客がいる。近くに大学があることもあり、その大半は学生だった。それでもこずえは長いポテトを抜き出すと、片端を口に咥える。功一がもう片方の片端を咥えた。功一は人前でするキスの恥ずかしさよりも、こずえの唇が欲しいと思った。
 中央でまた唇が重なった。

 功一が開放病棟に移って二週間後の夕方であった。功一は主治医との面接で、退院を勧められた。
「十分、静養したでしょう。後は自宅療養で通院すればよいと思いますよ」
 それが主治医の見解だった。功一としてみれば、もう少し入院してこずえとの時間を作りたかった。しかし、こずえだっていつまで入院しているかわからない。これまでの二ヶ月を思えば、主治医が勧める時期に退院するのが得策に思えた。
「わかりました」
 功一は主治医の意見に素直に従った。
「神崎さんはお一人暮らしでしたね。確か実家がこの秦野市内だとか」
「ええ」
「ならば、しばらくは実家で静養することをお勧めしますよ。一人暮らしだと、調子の悪い時に誰も助けてくれる人がいませんからね」
「はあ」
 功一もそれはなるほどと思う。うつがひどくなって、動けない時は本当に動けないのだ。ましてや一人暮らしで食事、洗濯、掃除などの家事全般をこなすのには、まだ正直なところ、自信がなかった。
「そうですね。検討します」
 笑いながら功一は答えた。功一は知っている。「検討する」とは公務員が相手に期待を持たせて、ばっさり切り捨てる時の常套句なのだ。だがこの時ばかりは、本当に実家に身を寄せようと思っている功一であった。
 功一は真っ先に退院の報告をこずえにした。
「ウソーッ、もう退院なの?」
 こずえは驚きを隠せず、手で口を覆った。そして、すぐ動揺の色が浮ぶ。
「なあ、メルアドと番号、交換しようよ」
 こずえとは携帯電話の番号とメールアドレスを交換し、こずえが退院したら連絡をもらうことにした。こずえは最初、功一の退院に動揺していたが、それでも「おめでとう」と言ってくれた。そういう功一もこずえのことが心配でないわけではなかった。今日のような事件があっては尚更である。
 翌日、不安を拭いきれないこずえの視線に見送られて、功一は退院した。病院の玄関を出ると真夏の太陽が容赦なく功一を照らしつけた。病院の中は程よく空調が効いていて、季節は感じられなかったのである。
(そう言えば、今は夏なんだっけな……)
 功一はボストンバッグで身体を庇うようにして、最寄り駅まで駆け出した。全身から汗がジワリと滲み出るのがわかった。
 
 功一は厚木市内のアパートで一人暮らしをしていたが、主治医の勧めもあり、一旦は秦野市の実家に身を寄せることにした。今は弟の信二も家を出ており、実家は両親の二人暮しである。功一の実家は秦野市の曽屋というところにある。国道246号線の近くで、駅からは少し離れた閑静な住宅街だ。
 功一はアパートを片付け、必要最小限の荷物を持って自家用車で実家に向かった。自家用車と言っても小豆色の軽自動車である。秦野に向かう途中、国道246号線は渋滞していた。ちょうど伊勢原を過ぎた辺りから渋滞が始まり、秦野に入る手前まで車は時速十キロ程度でしか走行しなかった。それでも新善波トンネルを抜けると、真正面に大きな富士山が功一の目の中に入ってきた。それは夏の雲を従えながら雄大に映え、見る者を圧倒するだけの迫力があった。
(富士山はやっぱり日本を代表する山だな……)
 功一はそんなことを思ったりもした。
 新善波トンネルを抜けると、渋滞もいくらか緩和され、下り坂に入る。実家はもうすぐだった。
 そのまま国道を走れば実家に着くのだが、小腹の空いた功一は、ちょっと寄り道をして小田急線を挟んで反対側にある「三憩園」というラーメン屋に寄った。「三憩園」は湯河原の老舗「味の大西」の味を継承する店で、功一はここのラーメンが好みだった。
 カンスイの入っていない麺はすぐ茹で上がる。注文して間もなく、功一の目の前に美味しそうな湯気を上げたラーメンが運ばれてきた。功一は胡椒を軽く振ると、すぐさま麺を啜った。そして、「美味い」と唸ったものである。入院時、何故か味噌汁などの汁物が出なかった。無論、ラーメンなど久しぶりだ。だからこそ、ラーメンを心行くまで堪能したかった功一である。麺を啜りながら功一は、いずれここのラーメンをこずえと二人で食べたいと思っていた。
 満腹で「三憩園」を後にした功一は、満たされた気分で実家を目指した。

 実家では両親が功一の帰りを待っていた。小豆色の軽自動車が敷地内に滑り込むと、両親が駆け寄ってきた。
「お帰り」
 母の律子が心配そうな顔で、覗き込む。
「ごめんよ、父さん、母さん、心配掛けて。しばらくの間、厄介になります」
「馬鹿か、ここはお前の家だぞ。誰に気を遣うんだ。まあ、ゆっくりしていきなさい」
 父の鉄夫が笑った。それを見て、功一は荷物を後部座席から降ろし始めた。
 実家は昔と変わりなかった。昔、功一が使っていた部屋には勉強机や教科書、百科事典などがそのまま置かれていた。功一はしみじみとかつて使っていた机を眺めた。
「功一、父さんが呼んでいるわよ」
 律子のその声で、功一は居間へと足を運んだ。
 居間では鉄夫がビールを片手に待ち構えていた。息子との再会を祝して乾杯をしようという心積もりだ。
「父さん、俺は今、病気なんだよ」
「酒、ダメなのか?」
「基本的にはね。まあ、一杯くらいなら……」
「そうか、じゃあ飲め」
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸