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カサゴ

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 一瞬、周囲がどよめいた。だが、抜き上げられた魚はカサゴだった。
「やっぱり、私はカサゴに縁があるのかも」
「ふふふ、釣りって楽しいよな。うつ病に効くのがよくわかるよ」
「私、癖になりそうよ」
「うちらの新婚旅行も釣りにするか。伊豆辺りで、温泉に泊まって、釣りをするっていうのはどうかな? お金もあんまりないし」
「あ、それいいかも!」
 そんなこずえと功一の会話を、渡辺は目を細めて見ていた。

 竿鱗会の釣りの翌日、夕方に功一は両親を連れてこずえの実家を訪ねていた。喜久雄も昌子も功一の両親を歓迎してくれた。
「何か、うちの息子がもう籍を入れるって聞かないんですよ」
 功一の母、律子が苦笑した。父の鉄男は一升瓶を差し出す。喜久雄はまだ薬を手放せないが、少量ならアルコールを飲めるまで回復していた。
「お父さん、一杯ですよ」
 喜久雄は昌子にそう念を押されていた。喜久雄は「ああ」と言いながらも嬉しそうだ。食卓には昨日、こずえと功一が釣ってきたカサゴとイシモチの刺身が並んでいる。それにカサゴの煮付けとイシモチの塩焼きだ。こずえと両親はイシモチの意外なまでの美味さに驚いているようだった。
「以前、魚屋で買ったイシモチとは別物だわ。あの時は生臭い魚だと思っていたけど……」
 昌子が驚きを隠せずに言った。
「お母さん、血抜きをするのよ。そうすると、生臭さが抜けるらしいの。さすがに鰓を切る時は残酷って思ったけどね」
 こずえが自慢げに言った。
「昔はお転婆だったけど、しかしまさか、釣りにハマるとはねぇ……」
 昌子が笑った。
「まま、お父さんも一杯……」
 そんな会話が和む夕餉であった。
「しかし、こずえもよく落ち着いてくれたものだ」
 喜久雄がしみじみと言った。
「聞くところによりますと、こずえさんは養子らしいですな」
 顔を赤らめた鉄夫が言った。
「ええ、家内が子どもを産めない身体でしてね。乳児院から引き取ったんですわ。でも私たちには最高の娘です。本当に私たちの血が流れているような気がしてならないんです。その娘が釣ってきた魚を食べながら美味い酒が飲めるなんて最高の贅沢ですわ」
「お父さんもリハビリに釣りでもされたらいかがですか?」
「そうですなぁ。片麻痺じゃ、もうゴルフは出来ないし、釣りでも始めますかな」
「この前、金沢漁港の忠彦丸という船に乗ったら、車椅子の人が釣りに来ていましてね。いやー、船宿もここまで進化したのかと思いましたよ」
「ほう。それは興味深い話ですな」
 喜久雄は釣りにどうやら興味を示したらしい。こずえも「お父さん、一緒に行きましょう」などと言って、袖を引っ張った。その姿は本当の親子であるかのように微笑ましいものであった。
「しかし、片麻痺でも釣りはできるものですかな?」
「今は軽量で小型の電動リールもありますよ」
「なるほど……」
「兎も角、百聞は一見にしかず。一度、ご一緒しましょう」
 父親同士は意気投合したようだ。
「お父さん……」
 功一が改まり喜久雄の方を向いた。
「私も来月の頭には復職します。安心してください。必ずこずえさんを幸せにします」
「そうか。それは良かった。私としても安心だ」
 喜久雄が満足そうに笑った。
「うちの息子もうつ病になりましてねぇ。息子の話じゃ、こずえさんもうつ病らしいですな」
 鉄夫が喜久雄に酒を注ぎながら言った。
「ええ、うちの娘は二回も自殺未遂をしていますよ。まあ、功一君がこれからはしっかり支えてくれるだろうから、安心していますよ」
 喜久雄の口調は穏やかだった。
 こうして和やかな夜は更けていった。

「さてと。どうもご馳走様でした。じゃあ、我々はこれで失礼しますよ」
 鉄男と律子が立ち上がった。こずえと功一も立ち上がる。
「私とこずえもこれで失礼します」
 喜久雄は円満の笑みで、昌子に支えられながら立ち上がった。そして、杖を手にした。そして、皆が外に出る。
「?」
 その男は暗がりの中に突っ立っていた。
「こずえ……」
 暗がりの男が呟く。
「沢木……?」
 こずえの表情が凍て付いた。喜久雄は「こいつ!」と言って、杖を振り翳した。
「馬鹿な。刑務所の中にいるはずじゃ……」
 功一が沢木を見据えて呟いた。
「模範囚ですぐに仮釈放になったんだ。もう、こずえは諦めるよ。どうせ、俺のところへは戻ってこない。ただ、さよならが言いたくてな」
 ダウンのジャケットを纏った沢木は、寒そうに肩を縮めていた。
「沢木……」
 こずえが沢木を見つめる。沢木はフッと笑うと、踵を返し、立ち去ろうとした。
「沢木!」
 その背中にこずえが叫びかけた。
「あんたも幸せを掴みなよ!」
 すると沢木はポケットに突っ込んだ右手で手を振った。そして、振り返ることもなく、暗闇へと消えていった。
「しっかり更生しろよ……」
 功一は沢木の消えた方向に向かって呟いた。

 その翌日、功一は生活福祉課でパソコンを叩いていた。
「どうだ。そろそろ、実務に戻ってもいいんじゃないか?」
 渡辺が功一の後ろで、そう呟いた。功一は「はい」と言って、渡辺の方を振り返る。渡辺はケースファイルと呼ばれる冊子を功一の机の上に置いた。
「取り敢えず、通院費とか簡単な変更事務だけでもやってみてくれ。責任は俺が取るから」
「了解しました。それと係長、今日はちょっと早めに上がってもいいですか?」
「ん?」
「実は今日、厚木市役所に入籍に行くんですよ」
「そうか、そうか……。そりゃ、めでたいな。構わんよ。早めに上がっても」
「ありがとうございます」
「リハビリ日誌には五時まで勤務していたことにしておけよ」
「はい……」
 既に功一のリハビリ勤務は八時間勤務となっていたのだ。渡辺は万年係長だが、融通の聞く、部下思いの係長だと功一はつくづく思った。そして、そんな渡辺の期待に応えるためにも、ケースファイルを開いて、その中身を凝視した。
 そして、いくつかの変更事務をこなして、十五時過ぎに功一は隠れるようにして、生活福祉課を出た。

 十六時十五分、厚木市役所一階の住民課の窓口にこずえと功一の姿を見ることができる。無論、婚姻届を提出するためだ。保証人にはお互いの両親がなってくれた。
 婚姻届が受理された時、こずえと功一は抱き合って喜んだ。それは「野原こずえ」が「神崎こずえ」に変わった瞬間だった。
「これで私たち、本当の夫婦だね」
 こずえが功一の腕に腕を絡める。二人ともここまでたどり着くのに紆余曲折の道のりがあっただけに感無量だった。こうして、カサゴの雄と雌は結ばれることができたのだ。
「ああ……、沢木ももう現れないだろうし、二人の邪魔をする者はいないよ」
「結婚式はこれからやるにしても、今日が本当の結婚記念日になるね」
「そうだね。記念にこれから食事でも行こうか? 作るのも面倒だし……」
「私、美味しい日本酒が飲みたい。ちょっと親父臭いかな?」
 こずえが可笑しそうに笑った。どこまでも素直な笑顔だ。
「ふふふ、今日はうちの近くの『かん露』という日本料理屋を予約してあるんだ」
「さすが功一。気が利くね」
「ちょっと値は張るけど、美味しい会席料理が楽しめるよ」
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸