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カサゴ

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 竿には大きく分けて先調子と呼ばれるものと、胴調子と呼ばれるものがある。負荷をかけた状態で竿の先の方が曲がる竿を先調子といい、竿の中央付近から曲がる竿を胴調子という。イシモチのような魚には胴調子の竿が向いていると言われている。ちなみにクッションゴムとはアジ釣りやマダイ釣りなどでよく使われるもので、魚が掛かった後、バレる(逃げる)のを防ぐ役目がある。イシモチは食い込みの良さで勝負が分かれる。渡辺は伸度のあるナイロンの釣り糸をわざわざ用意していた。
「今日はどの辺に行きますか?」
 餌の支度をしている船長に渡辺が尋ねた。
「今日は中の瀬に行こうと思っています。まだ猿島沖の深場には魚が落ちていないんでね。状況によっては根岸湾にも行くかもしれません」
 そう言いながら船長は手際よく餌のアオイソメを配って歩く。各自の釣り座にはクッションとタオルが置かれている。
 功一も渡辺も支度を終えて、出船の時を待った。
「俺はこの時間が一番ワクワクするんだ」
 渡辺が笑いながら言った。功一が頷く。
「確かに期待に胸が膨らみますよね」

 定刻の七時半に船は河岸払いをした。目指すは東京湾の中央、中の瀬である。
 八景島の前を通り過ぎ、十五分ほどの船旅で中の瀬に到着した。船のスピードが落ちる。そこは大型のタンカーが行き交うのを間近に見ることができる東京湾のど真ん中だ。船は何度か旋回し、やがて停まった。
「はい、始めてください。水深は二十三メートルです。オモリが底をトントン叩くくらいでいいですからね。餌はアオイソメを二匹くらいチョン掛けにして下さい。ほら、もうミヨシ(船首)で型が出ましたね」
 功一と渡辺は艫と言われる船尾付近に席を取っていた。潮が流れている時は艫が有利だ。
 だが、ミヨシの釣り人が釣り上げただけで、後は沈黙してしまった。
「おかしいなぁ。底引き網でも入ったかな?」
 船長も首を捻っていた。時折、ブルブルと手元にアタリが伝わると、それはシロギスだった。大きい針に掛かってくるシロギスだけあって、それは見事なサイズだったのだが、イシモチは上がってこない。胴の間の釣り人はシロギスの仕掛けを投げていた。シロギスも数がまとまれば良いお土産になる。
「うーん、どうやら底引き網が入ったみたいだね。あれが入るとイシモチの群れは散らばっちゃうんだよ」
 船長も頭を抱え、中の瀬を北上しながら様子を見ていくが、時折、釣れてくるのはシロギスばかりだ。
 そんな折、急に小魚が跳ねだした。いわゆるボイルという奴だ。
「何だ? イナダか?」
 渡辺が竿を下ろした。功一も急いで竿を下ろす。すると、仕掛けが海中で止まり、功一の竿がいきなりしなった。渡辺の竿も満月のようになっている。功一は力任せに魚をぬき上げた。渡辺も取り込みに入っている。それは小魚を飽食し、でっぷりと肥えたマサバだった。
「良いサバだねぇ……」
 渡辺が嬉しそうにサバの首を手で折る。そして、足元のバケツの中に放った。そうすると、血抜きが出来、生臭みのない美味いサバが食えるのだ。
「秋のマサバは脂が乗っていてシメサバはもちろん、煮ても焼いても美味いよ」
 功一も見よう見まねでサバの首を折った。そして、バケツへ放る。サバは放血しながら、バケツの中で暴れた。
 しかし、小魚のボイルは次第に船から遠ざかり、やがて水面はまた平静さを取り戻した。
「仕方ねえ……。全然パッとしないし、ちょっと、十五分ほど移動します」
 船長は移動の合図を告げた。船は再び、フルスロットルで走り出した。船は根岸・磯子方面に向かって走る。
「多分、根岸湾に向かうな」
 渡辺がサバをクーラーに移しながら呟いた。
「おお、神埼も早くサバをクーラーに移した方がいいぞ。サバの生き腐れなんて言われるくらいだ」
 渡辺にそう言われ、功一はサバをクーラーに移した。秋とはいえ、まだ残暑が厳しかった。クーラーの中の氷は半分以上も溶けていた。

 根岸湾に入ると、船は海釣り公園沖で旋回し始めた。どうやら、ここがポイントのようだ。何回か潮回りし、船はやがて停まった。そして、釣り開始のブザーが鳴る。
 功一は仕掛けを海中に放った。餌のアオイソメは踊りながら海中に沈んでいった。濁りのきつい海ではすぐアオイソメが見えなくなってしまう。
 イシモチは基本的に待ちの釣りだ。仕掛けを着底させたら、なるべく動かさぬ方が良いとされている。だが、それも教科書的説明で、実際にはゆっくり誘い上げる方法も功を奏することがある。
 渡辺に早速、アタリがあった。竿先がガクガクと震えている。
「係長、アタってますよ!」
「まだだ。もっと、大きく引き込まれてからじゃないと。イシモチは餌の端から少しずつ食っていくんだよ」
 渡辺がそう言っている間に、竿先が大きく海中に引きずり込まれた。
「よし!」
 渡辺がリールを巻き始める。胴調子の竿は満月のようにしなっている。功一は手元にグイというアタリの感触を捉えていた。それは何度も引き込んでいく。
「私にもきたみたいですよ」
 功一は魚の重みを感じていた。そして、リールを巻き始める。
 足元に渡辺が釣ったイシモチと、功一が釣ったイシモチが横たわった。サイズはいずれも二十五センチほどか。
「これがイシモチかぁ……」
 渡辺がイシモチの口から釣り針を外す。掴まれたイシモチがグウグウと鳴いた。
「これですね。イシモチが愚痴るっていうのは?」
「そうだ。だからシログチって言われているんだ」
 功一のイシモチもその掌の中で鳴いていた。功一が針を外そうとすると、扁平な小魚を吐き出した。
「うわっ、このイシモチ、小魚を吐き出しましたよ。イシモチって魚食性でしたっけ?」
「ほう……」
 渡辺が珍しいものでも見るように、吐き出された小魚を摘んだ。
「メゴチじゃないか。ふむ、話には聞いていたが、小魚も襲うらしいな」
「したり顔で弱者を襲うあたりが課長とそっくりですね」
「ん? わはははは……!」
 渡辺が豪快に笑う。
「神崎、お前も愚痴れ、愚痴れ! このイシモチみたいに……。鬱憤が溜まっているんだろう?」
「はあ……。課長にはいつもヘキヘキとしていますよ。何せ、いつも怒鳴りつけるんですからね」
「課長のあの癖は治らんな。課長の腹黒い愚痴がクログチだとしたら、俺たちのはさっぱりとしたシログチよ。わはははは……!」
 渡辺が豪快に笑った。功一も思わず苦笑を漏らす。渡辺は餌のアオイソメを付け替えていた。そして、仕掛けを海中に放る。功一も餌を付け替えて、仕掛けを放った。
「私、課長に睨まれているんですかねぇ?」
「あいつは弱い立場の人間を苛んで楽しむ奴だ。その代わり、上の立場には逆らわん。人間の醜さをそのまま絵に描いたような奴だ」
「はあ……」
「お前が入院して療養休暇から休職になったんで、あいつは今、柴崎を苛めているぞ」
「そうなんですか? 柴崎さんも可哀想に……」
「あいつが病気になるのも時間の問題だと思うね。最近、胃が痛いって言っているよ。俺もそれなりにフォローはしているんだがな……」
「私が復職したら、係長、フォローしてくれますか?」
「ああ、もちろんするとも。人事課も課長には問題があることが、ようやくわかりかけてきた感じだ」
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸