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カサゴ

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「係長が私を守ってくれるなら、行けるかもしれません」
「そうか。課員はみんな仲間だからな。あ、課長を除いてね。まあ、来れそうだったら来いよ。まずは資産調査の発送業務かなんかやってもらうからさ」
「それって、非常勤の仕事じゃないですか」
「非常勤もここのところ、くたびれ気味なんだ。本音を言うと、少し手伝ってもらえると有り難いんだよ」
「わかりました。考えてみます。一度、そっちに顔出しますよ」
「そうか、そうか。まあ、無理せずな。決して焦るんじゃないぞ。何だったら、休暇を来年の三月まで延長してもいいんだぞ。課長も多分、来年度に異動になるからさ」
「そうなんですか?」
「ああ、課長はあの席に座って三年だ。来年は異動確実だね。まあ、昇給があるかどうかはわからないけどさ」
「あー、それ聞いたら、少し楽になった気がします」
「まあ、浦島太郎にならないためにはリハビリ勤務で顔を出しておいた方がいいとは思うんだが、有給の休職期間は一年ある。じっくり構えて問題ないぞ」
「ありがとうございます。係長が私の味方であることがわかっただけでも嬉しいです」
 電話を切った後、功一は肩の荷が少しは軽くなったような気がしていた。

 功一のところに裁判所から沢木の判決を知らせる手紙が届いた。それによると、実刑二年六ヶ月だという。警察の「実刑間違いなし」という言葉はその通りになった。
 功一は考えた。この間にこずえと結婚し、沢木が入り込む余地を無くしてしまえばよいのだと。そこまで功一の想いは一途だった。
 功一はこずえの面会に、ほぼ毎日訪れていた。それが彼の日課といってもよかった。
 その日も功一はこずえの病院へ面会に行っていた。功一は食堂で沢木の実刑を知らせる書面を見せた。
「はあ、功一には感謝してるわ。頭脳プレイね」
「まあね、ここまで上手くハマるとは思ってみなかったよ」
「そういえば、秦野の病院でも功一が上手く切り返して纏わり付く患者を追っ払ったことがあったよね。灰皿の水を替えてって言って……。功一って機転が利くわよね」
「そんなことあったっけな」
 功一が頭を掻いた。照れくさそうな仕草だ。
「沢木は逆上すると何をするタイプだからね。実は私に電話が掛かってきた日も怖かったのよ。あいつに睨まれると何されるかわからなくて……」
「俺は多少、警察のやり口もわかっているからさ。上手く警察を利用した感じはあるかな。正直なところね」
「やっぱ、功一って計算高いのね」
「そんなもんじゃないよ。その時のひらめきだよ。それより、措置入院はいつ解除になるんだい?」
「うーん、わかんない。先生の話では最長で六ヶ月くらいらしいんだけど。私の場合、他害行為の危険性はないって言われてるわ」
「後は自傷行為の可能性か。けど、もう自殺はするなよ。俺がいるんだから」
「あの時は沢木から逃げられないと思ったのよね。本気で死ぬつもりだったの。でも功一が身体を張って突破口を作ってくれた。これだけは信じて。私、一生功一についていくわ」
「俺もだよ。だから、もう自殺未遂なんてするんじゃないぞ」
 功一がこずえの肩を抱き寄せた。こずえは功一の肩に頭をぴったりとくっつけている。そこから繋がる温もりが功一を幸せにした。
 周囲の患者たちは相変わらず二人に視線を送っていた。それは嫉妬だったり、羨望だったりする。功一は知っている。精神病院に入院している患者は孤独なのだ。だから、秦野の精神病院でも喫煙室が社交場だったではないか。喫煙室がなかったらこずえと幸一の距離が縮まることはなかったであろう。
「喫煙室へ行こう」
 功一が提案した。こずえが後に続く。その仕草が自然で厭らしさがなかった。
 喫煙室に紫色の煙が立ち昇った。喫煙室でもこずえは功一に寄り添っていた。

 功一は実家に帰り、ビールを流し込んだ。本当は精神薬にアルコールは禁忌である。しかし、これから迎えるリハビリ勤務に不安を隠せない功一はアルコールの助けが欲しかった。
「あんまり飲むんじゃないよ」
 ビールの缶をいくつも転がしている功一に、母の律子が小言のように言った。
「わかってるよ、母さん! でも、飲まずにはいられないんだ!」
 功一はいらつきながら叫んだ。
「お前の身体を心配しているんじゃないか。そうそう、今日ね渡辺係長って人から電話があったわよ。取り敢えず、通勤練習でもいいから、リハビリを始めないかって。それと一緒に釣りにいかないかって誘いがあったわよ。渡辺係長も釣りをするのね」
「はあー、通勤練習ねぇ……」
 功一がまたビールを煽った。律子はビールの缶を片付けていた。そこへ、父の鉄夫が帰宅した。
「お、何だ、もう一杯やってるのか?」
 鉄夫が作業着を脱ぎながら、自分も飲みたそうに、功一のビールを眺めた。
「ちょっと、お父さんからも言ってやってくださいよ。飲みすぎはよくないって……」
「うん、まあビールくらいいいじゃないか。俺も飲むぞ」
 鉄男は冷蔵庫からビールを出そうとした。しかし、冷蔵庫の中にビールは残っていなかった。
「何だ、母さん、ビールが冷えていないじゃないか!」
「功一が全部、飲んじゃったんですよ」
 律子が眉間に皺を寄せて言った。功一は鉄男を上目遣いで見た。鉄夫が恨めしげに功一を見下ろす。
「お前、病気の分際で飲みすぎだぞ。俺の分まで飲みやがって!」
「ごめんよ、父さん。リハビリ勤務のことを考えるだけで気分がくさくさするんだ」
「だからって、ビールを全部飲むことはないだろう。一度、医者とよく酒について相談して来い」
 鉄男は苛立ちを隠せずに、日本酒の一升瓶を持ち出した。気まずい雰囲気が流れた。その空気に気圧されるように、功一が立ち上がった。
「功一、夕飯は?」
 台所から律子が顔を覗かせた。
「いらない……」
 功一は千鳥足で階段を上って、自分の部屋へと向かった。
「あれじゃあ、ダメだな」
 鉄夫が日本酒を煽りながら、呟いた。
「母さん、今度の受診に付き添ってやれ。ちょっと、功一の奴、飲みすぎだし、そろそろリハビリ勤務の話も出ているんだろう。それで、あの体たらくじゃ、ちょっとな……」
「今はこずえさんとの時間が一番癒されるんですって……」
「だが、相手は入院中だろう? 現実のこともしっかり見据えないと……」
 鉄夫が不満そうに口を尖らせた。

 次回の功一の受診日には律子が付き添うことになった。
「神崎さん、酒の飲み過ぎはまずいですよ。アルコールはうつに一番、影響しますからね。実はうつ病とアルコール依存症は背中合わせの病気なんですよ」
 主治医はカルテにペンを走らせながら、頭を抱えた。
「今は彼女といる時間が一番癒されるんですが、何せ彼女が入院中で……。リハビリ勤務も迫ってきていて、落ち着かないんです」
「気持ちはわかりますけどね。だから酒に走るのはよくないです」
 主治医はピシャリと言って退けると、律子の方へ向いた。
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸