小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

カサゴ

INDEX|14ページ/32ページ|

次のページ前のページ
 

 沢木が倒れた功一の胸倉を掴み、揺すり起こした。
「おら、まだ言うか?」
「ウジムシ、社会のゴミ」
 また功一がボソッと呟いた。すると、沢木の瞳は爬虫類のような冷徹な瞳になり、懐から一本のナイフを取り出した。それは午後の太陽の光を反射して妖しく光っていた。
「きゃーっ!」
 様子を見に出てきた昌子の悲鳴が響いたその時だった。
「これで勘弁してもらえませんかねぇ……」
 何と功一が小声で囁き、財布を沢木に差し出したのである。沢木は功一を一瞥すると、ナイフを収めることなく、財布を掻っ攫った。そして、中身を確認する。
「ふん、シケてやがんな」
 沢木はナイフを懐に仕舞うと、もう一度功一の顔面を殴り、踵を返した。
 そこへパトカーのサイレンの音が鳴り響いた。パトカーから警官が素早く駆け下りてくる。昌子が110番通報をしたのだ。
「その男です。その男が僕に暴行して強盗したんです!」
 功一が沢木を指差した。すると、たちまち沢木は警官に囲まれた。
「テメエ、ハメやがったな!」
 沢木が吠えた。だが、沢木は両腕を掴まれ、パトカーの方へ連行されていった。
 功一が脇腹を押さえた。あばらの二、三本は折れているだろうと功一は思った。
「あなたも病院に行って診断書をもらってください。そうしたら署の方でお話を窺いたいと思いますので」
 若い刑事が功一に歩み寄った。功一は口元に薄っすらと微笑みを浮かべた。

 功一は実家での生活を続けていたが、たまに厚木のアパートへ換気をしに帰ったりもしていた。沢木に襲われた傷がまだ痛むこともあった。肋骨はやはり二本、折れていた。結局、沢木は強盗傷害の現行犯で逮捕され、現在も厚木警察署に身柄を拘束されている。沢木はどうやら初犯ではないようで、刑事が「実刑間違いなし」と言っていた。功一も警察で事情を聴かれた時、「恐怖に駆られて財布を出した」「命の危険を感じた」などと言い、沢木の有利になる発言は一切しなかった。警察の調べでは、やはり沢木はこずえに復縁を迫っていたらしい。
 喜久雄の話では沢木はこずえの昔の男で、アダルトビデオの仕事で知り合い、秦野の精神病院に入院する直前まで付き合っていたらしい。喜久雄は沢木のことを「チンピラ」と吐き捨てるように言った。
喜久雄は功一のあの時の身体を張った敵討ちには感謝をしているようだったが、自分の両親からはこっぴどく叱られた。だが、功一の心の中には沢木を逮捕に結びつけたことで、幾ばくかの満足感が残っていた。それと相反するように、こずえに会えない虚しさが胸の中で反芻する。うつ病も実感として良くなっているのかは、功一にもわからなかった。復職してもしばらくは実家から通うことも考えている功一であったが、それはまだ遠い先のことのように思われた。
(たまには気分転換に映画のDVDでも観るかな……)
 功一は今日の昼間は換気のついでにアパートでDVD鑑賞をすることを決めた。功一は車のキーをポケットに無造作に突っ込むと、アパートを後にした。小豆色の軽自動車は少し離れた国道沿いのレンタルビデオ店へ向かって走り出した。
 大きな駐車場に車を停めて、功一は何気なく店に入った。
 その日、ほとんど無視することの多い、アダルトビデオのコーナーが功一の目に入った。無論、アダルトビデオなど観る気にはなれない功一であったが、こずえがアダルトビデオに出演していたことを思うと、そのコーナーに入らずにはいられなかった。
(こずえがいるかもしれない!)
 そう思うと、功一の胸は期待と不安で高鳴った。決して、こずえと見知らぬ男優の情事を観たいと思ったわけではなかった。こずえはアダルトビデオの仕事にプライドを持っていた。だから、DVDの中だけでもいいからこずえの存在意義を確認したかったのだ。
 作業は困難を極めた。アダルトコーナーに陳列されているDVDのパッケージを端から端まで、丹念に、じっくりと見極めていく。化粧とはさすが「化ける」と書くだけのことはある。大体の女性が美しい顔を作り上げ、「化け」ている。そして一様に物欲しそうな瞳を湛えているのだ。だからと言って、自分の恋人を見紛う程、功一は落ちぶれていない。しかしながら、功一はこずえの芸名さえ知らなかった。
 功一は思った。のそのそと巣穴から抜け出し、レンタルビデオ店のアダルトコーナーで物色している自分は、岩陰から出てきて餌を漁るカサゴのようだと。アダルトビデオのパッケージを確認しながら、功一はこずえと釣った新健丸のカサゴを思い出していた。
 功一はすべての棚を確認した。しかし、こずえのDVDはついに見つからなかった。功一は自分の行っていた行動の可笑しさに、つい苦笑を漏らした。功一が携帯電話を弄った。待ち受け画面にはカサゴを高々と掲げるこずえがいる。功一は思わず目を細めた。
 功一が諦めてアダルトコーナーを出ようとした時、無造作に積み上げられているDVDの山を見つけた。アダルトビデオの世界は流行り廃りが早い。レンタル品としては価値のなくなったDVDを廉価で販売しているのだ。功一はそのDVDの山を掻き分けた。
 すると、DVDの山に埋もれたこずえは美しい化粧を施し、功一に微笑を投げかけながらそこにいた。
「こずえ!」
 功一には時間が止まったように感じた。ただ、ただ、立ち尽くしながら、そのパッケージで微笑むこずえを眺め続けた。
 もう随分と古いDVDなのだろうか、パッケージの写真は色褪せていた。こずえとの再会もつかの間、「1000円」と貼られた下品なピンク色のラベルに、功一はこずえが値踏みをされたような印象を受け、やり場のない怒りを覚えた。
「僕が……、助けてあげるよ」
 功一はそう呟くと、こずえのDVDをレジへと運んだ。
 功一がそのDVDを観るかどうかはわからない。この時、功一は精神病院で交わしたこずえとの接吻を思い出していた。その唇の感触だけが、功一の脳裏に焼きついていた。
 この時、ゆっくりではあるが、確実に時間は流れていた。功一とこずえはまだ、出口の見えない長いトンネルの中にいた。

 その後、沢木の弁護士より功一のところに一通の手紙が届いた。それには沢木の謝罪文が同封されており、刑の軽減を嘆願する内容となっていた。
 当然のことながら功一はその手紙を無視した。
「あんな奴、一生刑務所に入っていろ……!」
 だが、その手紙が功一の心をかき乱したのは言うまでもない。沢木に折られた肋骨が痛んだ。
 功一はこずえが手首を切った事実を重く受け止めていた。自分は兎も角、こずえを追い込んだ沢木を許すわけにはいかなかった。
 そして、その手紙を持って、功一はこずえの実家を訪ねた。ここのところはこずえの様子を聞きながら、頻繁にこずえの実家を訪れている功一であった。こずえが入院して一ヶ月が経とうとしていた。そして、喜久雄から「ようやく保護室から出られた」との報告があった。
「それで、面会は出来るんですか?」
 功一はせっつく様に喜久雄に尋ねた。喜久雄は功一に酒を勧めた。
「まあ、面会だって急ぐ話じゃない。君も一杯やっていきなさい」
 ここのところ、喜久雄は功一に厚い信頼を寄せている。それは喜久雄の態度を見ればわかることだった。
作品名:カサゴ 作家名:栗原 峰幸