熱戦
8:お手柄小心者 と 貧乏くじを引いてやる!
4回の裏。日我好の攻撃は5番の山田君から。5-3と2点をリードされている状況だが、彼は相変わらずそんな苦境などなんとも思っていない。そんなゲーム感覚でバッターボックスに立つ男に気圧されてしまったのか、上野君のピッチングはボールが先行する。
スリーボールワンストライクからの6球目。
「ボール! フォアボーッ!」
球は大きく外れ、能信はノーアウトでランナーを許すことになった。
ノーアウト1塁。次のバッターは6番村山君。彼は明らかに気の進まない表情で、のそのそとネクストバッターズサークルから立ち上がる。
村山君は、とても大人しくて引っ込み思案な性格だ。人から注目されたり、目立ったりすることが何よりも大嫌いで、基本的に物事は穏便に済ませようとする。誰よりも心が優しく、人の気持ちに寄り添えるし、争いごとを好まない点は立派な長所なのだが、こと野球に関しては少々不向きな性格かもしれない。
だが彼の不運は、そんな性格なのに筋力も走力も野球のセンスも非凡なものを持っていたことだった。彼の6番というクリーンナップに次ぐ打順は、監督やコーチからそのポテンシャルを買われている証だと言える。しかし逆に考えると、その性格的な部分がネックで、クリーンナップはちょっと任せられない。そんな評価をされてしまっている、というのが彼の現状なのだ。
そんな村山君が、気の進まない表情でバッターボックスに入っていくのは、仕方のないことだろう。試合ももう後半、5-3という微差、ノーアウト1塁という好状況。目立ちたくはないが結果は出さねばならない。村山君の気持ちはてんびんのように激しく揺れていた。どうしたらいいだろう。前の打席は三振しているし、打たなくちゃ。でも、打てるだろうか。それに、打っちゃって目立つのもなんか恥ずかしいし……。
バットを持ちながら考え込んでいるうちに、1球目が飛んでくる。
「ットッライー」
ほぼど真ん中の絶好球。日我好ベンチから思わずため息が漏れてしまう。それを聞いた村山君はさらに動揺した。
(まずい……)
彼は一度バッターボックスから足を外し、落ち着こうと深呼吸をする。そして気持ちを切り替え、再度、足を踏み入れてバットを構える。しかし、一度気を取り直しても再び心中に湧き上がる迷い。
そうしている間に、またも球が飛んでくる。
「ットラーイク!」
内角の高め、これまた手を出さなかったのが悔やまれるような絶好球。
好球を2度も見逃してあっという間に追い込まれてしまった村山君は、もう怖くてベンチを見ることができなかった。
(きっと、三振して戻ったら監督もコーチも怒るだろうな……)
まだアウトになっていないのに、もう彼はアウトになった時のことを考えてしまっていた。カウントはノーボールツーストライク、ここからアウトにならないなんて無理に決まっている。4連続でボール球が飛んできてフォアボールになるなんてあり得ないし、もう一度あんな絶好球が来るとも思えない。仮にそんないい球が来たとしても、こんな揺らいだ心持ちでヒットになるはずがない。それどころか、厳しい球を1球、投げられるだけでこの打席は終わったも同然なのだ。
村山君は真っ青な顔で、死刑を執行される罪人のような気持ちで、渋々バットを構えた。
十数メートル先の処刑人が、セットポジションからボールを投げてくる。案の定、外角低めの打てるとは思えないような難しい球。
(こんなの、無理だよ……)
弱気になっている村山君は怖さのあまり、この球がボールになると信じて見送ろうとした。
(でも……)
次の瞬間、村山君の脳裏に最悪の状況がよぎる。
(もしこのボールがストライクだったら、2打席連続で見逃しの三振だ)
前打席で三振している上に、今打席も絶好球を2度も見送ってバットを振らずに三振。そんなことになったら目も当てられない。せめて三振になるとしても、バットを振るくらいはしなきゃ。
村山君はこの期に及んでも、まだそんな後ろ向きな気持ちでいた。だがそれでも彼はこの難しい3球目に対し、バットを振る決意を固めたのである。
村山君は狙いを定めてバットを振った。だが、いろいろと考えていたため、大きく振り遅れる形になった。
「コン!」
しかし、そんな状況でもバットにボールを当てられたのは、やはり村山君に能力があったからだろう。
打球は、ふらふらとライナー性の当たりで頼りなく1塁線上を飛び、ライトとファーストの間に落ちた。能信のライト、本山君はその打球をぼんやり眺めている。何せバットを振った本人ですら、ボールに当たると思っていなかったのだ、不意を突かれるのも無理はない。ようやく気付いて焦りながらボールを拾いにいったものの、かなりの時間を取られてしまう。その間にランナーの山田君は3塁に、打者の村山君も2塁に到達していた。
ノーアウトランナー2、3塁。絶望の淵からどうにかはい上がってチャンスメイクに成功した村山君は、自陣ベンチからの喝采が恥ずかしくて塁上でうつむいた。