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火曜日の幻想譚 Ⅱ

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168.鮮魚コーナー



 近所のスーパーの鮮魚コーナーに、1人の奥さんがうるさい子どもを連れて立っていた。こう言っては失礼かもしれないが、ちょっと生活に苦労していそうな、くたびれたお母さんだ。

「うーん」
奥さんはあごに手を当てて考え込んでいる。ほぼ確実に、今晩の献立について考え込んでいるのだろう。その間、子どもはお菓子を買ってと喚いていた。
 確かに、毎日の晩御飯をどうするかは大きな問題だ。毎度同じものでは食べ飽きてしまうし、凝ったものを作ろうにも、手間や予算との兼ね合いがある。そういった諸々を踏まえた上で、極めて短時間で結論を出さなければならない。世の晩ごはん担当の方はすごいと本当に思う。

 そんなことを考えていたら、奥さんと子どもはいなくなっていた。少しばかり探すと、彼女はお菓子をほしがる子どもを手で制しながら、鮮魚コーナーの1カ所をすごい形相で見つめていた。あまり女性につきまとうのもどうかと思ったが、えらい顔つきで何かを見つめているので、つい私も同じ場所を目で追う。

 そこにあるのは、何の変哲もない魚肉だった。ただし、ラップの上に貼られているラベル、その文字が異彩を放っていた。何を隠そう『人魚』という印字がされていたのである。
 恐らくその文字を見て、固まっていたであろう奥さんは、近くを通りがかった店員を呼び止め、問いかけた。
「これ、本当に人魚の肉?」
そんな声がこちらにも漏れ聞こえてくる。確認したくなるのももっともだ。
「ええ。数日前、福井で取れたんですよ。煮付けると、いいおつまみになるそうですよ」
店員は丁寧にそんな回答をした後、忙しいのか足早に立ち去ろうとする。それを奥さんは再び引き止めた。
「あの、不老不死になるってのは……」
そう、それを知りたかったんだ。私は隣でサラダチキンを選ぶふりをながら、店員の回答を待つ。
「それについてですがね……」
店員はいきなり声をひそめて、奥さん〈とぎりぎり私〉に聞こえるように言う。
「不老不死にはならないそうです。ですが、不老不死になった、という幻想を抱くようにはなるようです」
「?」
浮かない顔をしている奥さんに、さらに店員は説明する。
「自分は死なないと脳が強固に思い込むので、常に気持ちがいい状態なんだそうです。ですので、血を流しても痛みを感じないらしく、自分を不老不死だと思ったまま、死ねるなんて話も聞きますね」
(……要するに、ヤバいクスリのさらにヤバいやつじゃないか)
奥さんも横にいた私と同様に驚いたらしく、ちょっと身を震わせた。急いでいる店員はそのまま走り去る。
 だが店員が立ち去った直後、奥さんの目は、再び人魚の肉に注がれていることに私は気づいていた。そして、喚く子どもに殊更静かにするようきつく言ったことも。私は彼女の行動を心に刻んで、カップ麺コーナーへと足を運んだ。

 再び鮮魚コーナーに戻ってきたとき、既にもう人魚の肉は存在していなかった。

 というわけで、人魚の肉を、誰が、何のために、何を思って買ったのか。それをどう料理して、どのように食べて、どうなったか。私は一切知らない。
 ただこれだけ言えるのは、近所のスーパーなのに、それきりあの親子連れを見ていないということ、それだけだ。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅱ 作家名:六色塔