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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《前編》

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「そうですな……ルネサンス期の絵画でこれまで最高の値が付いたのは、ダ・ヴィンチの『サルバドール・ムンディ』の四億五千万ユーロですが、ダ・ヴィンチはいわば別格です。 その次となりますと、レンブラントの『マールティン・ソールマンスとオーペン・コーピットの肖像』で、こちらは一億六千万ユーロでした、プラッティはレンブラントよりはやや格下と見なされてはいますが、この作品は特別です、レンブラントと同等かそれ以上に扱っても良いと思います。 ただ、『マールティン・ソールマンスとオーペン・コーピットの肖像』は等身大の大きな肖像画でしかも一対ですが、この絵は概ね二十号程度とあまり大きくはありません、もちろん絵の価値はサイズで決まるものではありませんが……そうですね……八千万ならば買い手が付くかと思います、競りの状況によっては一億に手が届くかもしれません」
「そうですか……わざわざお越しいただいて恐縮ですが、無駄足をおかけしてしまったようです」
 パオロは落胆した様子も見せずにそう言い放った、つまりクリスチャンズにこの絵を託す気はなくなったと宣言したのだ。
「……『ザビエルズ』ですか?」
 ジョーンズがボソリと言うと、パオロは鷹揚に頷いた。
 ザビエルズはクリスチャンズと並ぶ、英国二大オークション会社のもう一方の雄、両社はことごとく競合する運命にある。
「ザビエルズはいくらでならお引き受けすると?」
 てっきりサビエルズに競り負けたのかと思ったのだが、パオロは首を横に振った。
「いや、まだお招きしておりません、あなたが最初ですよ」
 なるほど、自分が提示した一億ユーロでは不足だと言うことだ……であればまだ歩み寄りのチャンスはある。
「ポリーニ家としてはいかほどの額をお望みで?」
「二億です、それ以下であれば手放しません」
「二億……」
 いくらなんでもそれは無理筋と言うものだ。
 ジョーンズが口にした一億ユーロと言う値には、絵画を愛する者なら誰しもが一目見たいと願い、叶うことのなかった『幻の名画』であると言う付加価値も加味されている、そうでなければいかに傑作と言えども五千万が上限、プラッティの作品は同じ程度のサイズであれば一千万から二千万が相場なのだ。
 パオロは辣腕ビジネスマンと聞いているが、とんだところで貴族らしいところを見せたものだ、世の中の常識を知らないにもほどがある。
 ジョーンズは仕事柄貴族……正確に言えば元貴族だが……と接することがよくある。 彼らは良く言えば世間ずれしていない、悪く言えば世間知らずなところがあり、気前良く振舞ったりする反面、とんでもない額を口にすることがある、だが、ジョーンズが根気よく話せば大抵は理解してくれる。
 しかし、パオロの態度にはその気配のかけらすらない……。
 ザビエルズが呼ばれてもおそらくは同じような額しか提示できないはずだ。
 ザビエルズの絵画部門責任者、ウィリアムズが呼ばれることになるのだろうが、彼も絵画売買のプロだ、いや、むしろジョーンズよりは慎重な性格なのでもう少し低い額を提示する可能性が高い。

「二億では無理だと思いますが……」
「この絵にはそれだけの価値はないと仰るのですかな?」
「そうは言っていません、ただ、『欲しい』と『買える』は違います、どれだけ欲しくとも手が届かない品はあるものです」
「しかしダ・ヴィンチの作品は四億五千万で売れたのでしょう? いや、ダ・ヴィンチと張り合おうとは思いません、ですがレンブラントより安い価格には納得できないのですよ、先ほどプラッティはレンブラントより格下と仰いましたな? それはそうかも知れません、ですが、絵の価値は誰が描いたかだけで決まるものではないはずだ、『マールティン・ソールマンスとオーペン・コーピットの肖像』は私も見ましたが、私には『イザベラ・ポリーニの肖像』がそれに劣るものだとは思えないのですよ」
「それは私もそう思います、ですが、一万ユーロ、二万ユーロと言ったような、個人が趣味に費やせる金額ではないのです、そこにはどうしても投機的な意味合いが含まれます、画家の名声はどうしても重要になって来るのですよ」
「そのような世俗的な理由でこの絵の価値を量っていただきたくはありませんな、二億で扱って頂けないならお引き取り願いましょう、タクシーをお呼びいたしますかな?」

 ロンドンからフィレンツェに招いておいて迎えも寄こさなかったくらいだ、商談が不調に終わったとあれば駅までだって送ってくれるつもりはないらしい。
 まあ、期待もしていなかったので別に何とも思いはしないが、パオロらしいと言えばらしい、『世俗的な理由で云々……』良くそんな台詞が吐けるものだ、本心から言っているのではないだろう。
 レンブラントより高く売れればポリーニ家の名は上がり、同時に懐も潤う、そんな『世俗的な』計算で物を言っているに違いない。
 だが……。
 イザベラの輝くばかりの微笑みはジョーンズの心をがっちりと鷲掴みにしている、そして、その微笑みは今パオロの手の中にあるのだ。
(なんとかしてあの絵を世に出したいものだが……)
 タクシーの後部座席にもたれながら、ジョーンズは鬱々たる気持ちを持て余していた。