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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《前編》

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2.イザベラ・ポリーニの肖像



「これが……」
「そうです、これが『イザベラ・ポリーニの肖像』です」
 
 ジョーンズは息を呑んだ。
 ここ数日『幻の名画』と対面できることに興奮し、いささか緊張気味の日々を送って来た。
 そして、とうとう目にしたその絵は……正に『幻の名画』と呼ばれるにふさわしい傑作だった。
 背景はおそらくはこの館の庭なのだろう、立てられたラティスによく手入れされた黄色い蔓バラが絡み咲き乱れている、この時代の肖像画は屋内で描かれることが常なので背景は後から描かれたのだろうが、あまりにしっくりしているので当時の常識を知らなければ実際に蔓バラの前で描かれたと思うだろう……あるいは実際にそうだったのかもしれない。
 当時二十歳だったイザベラは初々しい少女と成熟した女性の丁度はざまにあったようだ、今まさに大きく花開こうとしている蕾を思わせる。
 漆黒の髪と瞳は彼女の透き通るように白い肌と対比をなし、白と黒が互いに引き立て合っているかのようだ、その白い肌の中にあって、頬にさした僅かな赤みが浮かび立ち、恥じらいと華やかさをイザベラの表情に与えている。
 衣装は深紅のビロードだが、大きな襟が付いたような正装ではなく貴族女性の普段着のようだ、その深い紅は華美ではないが地味でもない、それを着る女性の慎み深さと内に秘めた情熱を象徴しているかのように……。
 斜めに椅子に掛けたポーズで膝の上からだけが描かれている、両手は腿の上で軽く握られ、顔をこちらに向けているが正面からの構図ではない、少しだけ斜めを向いたまま瞳だけをこちらに向けている。
 乙女の恥じらいを香らせつつも、暖かい視線をこちらに送って来ているのだ。


 イザベラ・ポリーニは15世紀に生きた貴族、言わずと知れたポリーニ家の令嬢、パオロの先祖でもある。
 イザベラが生きた時代、ポリーニ家は最盛期を迎えていた。
 父のアレサンドロはポリーニ家代々の中でも最も優れた当主と呼ばれ、祖父の代にも増してポリーニ家を隆盛させた人物、そして共に聡明だと賞賛される二人の息子を持ち、家の存続にも不安はなかった。
 それゆえ末娘のイザベラは政治や財政にかかわることなく、ただひたすら芸術を愛し育てることにその全てを捧げることができた。

 イザベラの興味は芸術全般に及んだ。
 優れた演奏家がいると聞けば館に招いて演奏を楽しんみ、その者が音楽に打ち込めるよう援助し、優れた文学を書くものには出版の機会を与えて世に出る機会を与えた。
 中でも絵画にはひときわ情熱を注ぎ、まだ無名の画家であっても才能があると見込めば絵を買い上げ、自らが楽しむばかりでなく公共の場所に貸し出して広くその才能を知らしめた。
 人々はそんなイザベラを『聡明で慎み深く、心優しき才媛』と讃えたが、イザベラが賞賛を集めたのはその内面ばかりではなかった、その輝くばかりの美貌も人々の賞賛の的になっていたのだ。
『イザベラ・ポリーニの肖像』は当時まだ無名だったアンドレア・プラッティが描いたとされる、それはフランコ・コンティーニが鑑定済みなので間違いはないだろう、そしてこの作品を描いてからというもの、イザベラの後ろ盾を得たプラッティは有名画家へと上り詰めて行き、ついにはルネサンス期の巨匠のひとりとして認識されるに至るのだ。
 イザベラはプラッティの作品を広く大衆が目にすることが出来るように、公共の場所に展示させたが、唯一自らを描かせた肖像画だけは決して外には出さなかった、抱きしめるように大事に、自分だけのものとしたのだ。

 そして、この傑作はルネサンス期の肖像画の範疇には収まらない作品であることも一目でわかる。
 イザベラがわずかにだが微笑んでいるのだ。
 この時代、貴族が人前で笑うことは恥ずべきこととされ、肖像画に描かれる時も当然すまし顔で描かれる、それゆえ時間が止まっているかのような絵になるのが常だ。
 だが、『イザベラ・ポリーニの肖像』は違っていた、微笑みを湛えたイザベラの表情は生き生きとし、バラ色の頬はこの麗しき令嬢の体温まで伝えて来るかのようだ。
 そして、頬笑みを浮かべたその姿はこの世の者とは思えないほどに美しい……それは並外れた美貌を持っているからばかりではない、内面からの輝きがその美貌を更に引き立てているかのようだ……そう、恋をしているかのような……。

「いかがですかな? 我が家の家宝は」
「素晴らしい……想像以上です、『幻の名画』の名にふさわしい傑作です」
「そうでしょう? 保存状態も良いと思いますが」
「これ以上を望むのは不可能でしょうね」
 それは当然のことだ。
 イザベラの夫は妻を深く敬愛し、その死後、若き日の美しい姿を写したこの絵を門外不出として館の奥深くに大事に保管し続けることとした。
 それ以来、およそ五百年にわたって『イザベラ・ポリーニの肖像』は専用の部屋を与えられ、滅多に人目にすら触れずに存在し続けて来た、空調や湿度管理こそ施されてはいないが、外気に接することのない部屋に、更に扉付きの木箱に収められて大事に安置されて来たのだから……その意味では究極の『深窓の令嬢』でもある。
 そして、その保存管理の過程において加筆による修復が行われていないであろうことも重要だ。
 なにしろ五百年前に描かれた絵画だ、教会や美術館に所蔵されて公開されていれば痛みも生じる、現代の修復はオリジナルを最大限に尊重し、後世の加筆があれば慎重にそれを取り除くことすら行われる、しかしそれは現代の常識であると同時に現代の技術があればこそ可能なことであり、今に伝えられている名画でもその時代、その時代の好みに合わせた加筆が施されていることは珍しくない。
 だが『イザベラ・ポリーニの肖像』はほとんど公開されていない、五百年もの間、ポリーニ家の館の、外気にも日光にも触れないように大事に保管されて来た、しかも描かれているのはポリーニ家の長い歴史の中でも随一と謳われる令嬢、麗人だ、加筆などされるはずもない……ほんの少し、洗浄と言ったレベルの修復を施すだけで描かれた当時の姿がそのまま蘇るだろう。
 
「さっそくですが、この絵はいくらで売れますかな?」
 パオロがビジネスを切り出して来たので、ジョーンズも我に返った。
『幻の名画』に出会えた興奮はまだ冷めないが、プロとしていい加減な約束はできない、ジョーンズは頭をフル回転させようと気を引き締めた。