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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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8. 最初の朝


 目覚めたとき、暖野は自分がどこにいるのか判らなかった。少なくとも電車の中ではないことは、すぐに解った。
 また夢を見たのだ。それも、またしても失恋の夢。
 恋に憧れてはいても真剣に誰かに恋したこともないし、告白などしたこともない。にも拘わらず失恋だけを、それがたとえ夢の中だったとしても何度も経験させられるのは、別の意味で辛い。
 ここは自分の部屋でもなかった。そしてさらに驚いたのは、自分が下着姿だったことだ。
 彼女は起き上がると、視線を巡らせた。
 服は、いつも自室でそうであるように壁に掛けられていた。
ああ、そうだった――
 暖野は思い出した。
 ここは沙里葉なのだと。
 結局、元の世界には戻れなかったのだ。服は、やはり皴になるのが嫌で、自分でハンガーに掛けたのだった。
 外は明るかった。カーテン越しに白い光が洩れている。
 暖野は時計を見た。懐中時計を。
 6時19分。
 実際には、時間などあまり関係なかった。本来の世界では、まだ昨日の夕方なのだ。ここでは学校へ行く必要もないし、従って電車の時間を気にする必要もなかった。
 シャワーを浴びたかった。昨日は風呂に入っていない。
 入口ドアの左に、浴室があった。最低限のアメニティーが用意されている。それを確かめると、暖野は古風な陶器のバスタブに湯を満たし始めた。湯は錆臭くもなく濁ってもいなかった。
 それ自体不思議なことなのだろうが、電気も通じているのだから、そのことを不問にするのは容易だった。
 バスタブの横にはバラの花の形をした石鹸と陶器製の小瓶。
『シャンプーが見当たらないけど、これなのかな?』
 暖野は小瓶を手に取って蓋を開けてみる。
 少量手の平に落としてみる。泡立ち具合からみて、シャンプーであることは間違いなさそうだった。
 バスタブに湯を満たし終えると、彼女はそこに深々と身を沈めて手足を伸ばした。
朝風呂って、気持ちいい――
 高い位置にある小窓から朝の光が差し込んでいる。湯気がたゆたい、光の霧に包まれているようで、自然と穏やかな心持ちになる。
 このままもう一度眠ってしまいたいような気分だった。
 振られてばっかりなのね……。
 今朝方の夢を思い返す。
 確かに、夢に出てきた彼は実在の人物だし、中学時代には少しばかり好意を寄せていた。ただそれだけのことで、卒業してからこの方、一度も会ったことがなかった。
 一種のシミュレーションのようなものかと、首まで湯に浸かりながら考えてみる。もし、1年の時に再会していたら、ああなったかもしれないという――
 知らぬ間に深く湯に沈み込んでいた。
 溜息が泡となって目の前で弾ける。
 その時、記憶が跳躍した。
 あの失恋の後、あの人に出逢ったんだわ――
 あの人――駆け込み乗車をした電車の中で出会った、あの人……
 しかし、その記憶はどこから来たものなのか。自分のものではないはずなのに、身をもって経験したことのように胸が痛み、ともすれば涙が溢れそうにさえなる。
 暖野はすっかりのぼせてしまっていた。
 湯を半分ほど流し、水で顔を洗う。水は、全身を流すには冷たすぎた。
 タオルは、微かに花の香りがした。それを嗅ぐと不思議と心が落ち着いた。
 いつものようにきちんと制服を着込むと、暖野は部屋を出た。その必要もないのにネクタイまで締めて。場違いに見えるのは仕方がない。何せ着替えなど持っていないのだから。
 部屋を出た所で、立ち止まる。
「えーと……」
 マルカは隣の部屋にいると言っていたはずだ。「隣って、どっち?」
 彼女の部屋は突き当りだった。廊下の両側にドアが並んでいる。
「まあ、いいか」
 そんなことなど迷いのうちにも入らない。とりあえず両方をノックしてみればいいだけだ。どうせ彼女たち二人以外はいないはずなのだから。
 まず、右側のドアを叩いてみる。
 返事はなかった。
 続いて反対側のドアに向き直った時、今しがた叩いたドアが開いた。
「おはよう」
 暖野は振り向いて言った。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 彼は言った。
「ええ。シャワーも浴びたし、気分は悪くないわ」
「それは良かったです。今日も落ち込んでいられたら、どうしようかと思っていたんですよ」
「お腹が空いたんだけど、何か食べるものはあるの?」
 暖野は訊いた。話している間にも、胃はしきりに空腹を訴えている。
「じゃあ、下へ行きましょう」
「下って……。用意出来てるの?」
「さあ」
 マルカは微笑んで見せると、歩き出した。
 一体何が出てくるのだろう、と暖野は考えた。
 きっと洋食ね。フランスパンの切ったやつと――ううん、違う。白パンよ。昔、アニメで見たやつ。でも、あれって黒パンの方が美味しそうだったな。あと、濃いスープとサラダ、デザートには――
 暖野は想像をたくましくした。
 腹が減っている時というのは、食べ物に関する想像力が格段に増す。
 階段を下りる途中で、いい匂いが漂ってきた。
 食堂は階段を降りきった所にあった。玄関から見て、廊下の一番奥の左側にあたる。その向かいが厨房になっているらしい、飾り気のない扉が開け放たれている。
 入口のドアには、ステンドグラス風のガラスが嵌め込まれていた。
「これは……」
 ドアを開けて、暖野は目を丸くした。
 寝室などとは違い、壁は重厚な板壁だった。窓にはレースのカーテンが掛かっており、朝陽が差し込んでいる。白を基調とした天井からはスズラン型の傘のついた照明があったが、今は消えていた。それは、古い写真で見る豪華客船の一等食堂のような雰囲気だった。
 それだけでも驚くべきものであったが、彼女を本当に驚かせたものは別にあった。
 えんじ色のクロスの掛かったテーブルの一つに、先ほど暖野が想像したままの朝食が用意されていたのだ。
 パン篭には黒パンと白パン、たった今供されたばかりのような湯気を立てているスープ、そしてサラダ。映画とかでしか見たことのないような器にはフルーツが盛られている。
 卓上には煩(うるさ)く感じさせない程度の燭台があり、蝋燭の灯が揺れている。
 ここに執事や給仕係でもいたら、どこかのお姫様の朝食のようだ。
 マルカが椅子を引いて、彼女に座るように促した。暖野は半ば呆然としてそれに掛け、マルカが慣れた手つきでお茶を注ぐのを見ていた。
 湯気とともに芳醇な香りが立ち昇る。
 暖野はそれを、どこかで嗅いだことがあると思った。
 お腹が鳴る。
 暖野は我に返った。そう、まずは腹ごしらえだ。事あるごとに驚いていては、きりがない。
 彼女はまず、食べ応えのありそうな黒パンに手を伸ばす。印象では随分と堅そうだったからだ。かぶりつきたいのを抑えて、少し千切って口に運ぶ。
 思わず笑みが漏れる。
 確かに皮の部分は堅いが、中はそれほどでもない。歯応えも心地よく、口内に広がる香ばしさにうっとりしてしまう。
 白パンの方は、なんだかふわふわした感じで物足りなさを感じた。
 普通ならベーコンエッグとか付いてくるのだろうが、ここにはなかった。その分スープは濃厚で、コクがあった。
 朝食は申し分なく美味しかった。お腹いっぱい食べても、篭にはまだパンが幾つも残っている。