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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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第1章 はじまりはいずこから 1. ずれた時間


「ちょっと――」
 誰かが肩を叩いている。
「もしもし――」
 暖野(のんの)は薄目を開けた。
 目の前に、男の顔があった。
「お客さん、終点――」
 男がいいかける。バスの運転手だった。
「あ……。ご――ごめんなさい!」
 暖野は慌てて立ち上がった。運転手が脇へと飛びすさる。
 鞄のポケットから定期を取り出してかざすと、出口へと駆け出した。
 前後の確認もせずに飛び出すのはいけないことだ。さっきも、それで酷い目に遭ったのだから。
 さっきも――?
 さっきって……
 考えている余裕などなかった。
 なぜなら、バスの周りには人だかりができていて、皆が暖野を見ていたからだ。
 暖野は恥ずかしさで真っ赤になって、また走り出していた。
 考えるまでもなく、人だかりはバスを待っていた人たちだった。運転手が暖野を起こして降車させるまで待っていただけで、少々迷惑には思っていてもさほど好奇な目で見られていたわけではないのかもしれない。だが暖野は……
 ――もう、あのバスに乗れない!
 などと思っていた。
 気づくと、いつもの駅前のコンビニ前に立っていた。
 バス乗り場は改札の目の前なのに、いつの間にか横断歩道を渡った向かい側に来ていた。それだけ動転していたのだろう。
 何度か息をついて、改めて周りを見回す。
 見慣れた学校帰りの駅前の風景だった。
 落ち着いてくると、妙な感覚が甦ってくる。
 あれは――
 何もかも、信じられないような思いだった。空はまだ黄昏の色を残していて、あれから大して時間は経っていないようだった。
 暖野は腕時計を見る。
 5時47分。
 あれは全て、夢だったのだろうか……。
 半ば呆然としたままポケットから懐中時計を取り出して眺めた。
「……」
 暖野はそのまま、たっぷり1分近くも動けなかった。
 その針は、なんと12時18分を指していた。
 これは、どういう――
 最初、バスの中で見たときは腕時計と同じ時刻の5時32分だった。それが、わずか15分ばかりの間にこれほどまでに狂うはずがない。
 ――やっぱりあれは、本当にあったことなんだわ――
 信じたくはなかったが、出来ればただの夢だと思いたかったが、それにはあまりにも無理があった。
「マルカ……」
 暖野は呟いてみる。
 何故だか胸が締め付けられるような感じがした。
 駅に電車が着き、人々がそぞろ出てくるのが見える。不思議なことに、このあまりにもありふれた光景が非日常のようにさえ思えた。
 電車の中でも、駅から家までの15分ほどの道のりでも、暖野の頭はしきりに何かを考えようとしていた。だが、だめだった。考えようとする内容はどれもとりとめがなく、疲労も手伝って思考は空回りするばかりだった。それが却って焦燥感を募らせていた。
「ただいま」
 玄関で靴を脱ぎながら、暖野は奥へ声をかけた。
 ダイニングで話し声が聞こえる。今日は珍しく、父が帰っているようだ。
「あら、おかえり」
 顔を出した暖野に、母の珠恵(たまえ)が言った。「すぐご飯にするから、着替えていらっしゃい」
「お父さん、お帰りなさい」
 暖野は父親に向き直って言った。
「ああ、ただいま」
 雄三が応える。父は新聞を広げていた。テーブルの上にはコーヒーカップが載っている。それを見て、暖野は無性にコーヒーが飲みたくなった。
「お母さん、私もコーヒー」
「ご飯が済んでからにしなさい」
 珠恵がたしなめる。
「はぁい」
 気のない返事をして、暖野は二階へと上がった。
 部屋に入ると、まず時計を外した。ないと困るが、暖野はあまり腕時計が好きではない。アレルギーというわけではないが、特に夏などは汗で痒くなったりする。
 次いで、とんでもない時刻を指している懐中時計を机の上に置く。
 着替えるのも面倒だった。そのままベッドに倒れ込みたい誘惑と闘いながら着替えを済ませると、制服をハンガーに掛けて階下へと降りた。
 食事の支度はすでに整っていた。焼き魚と味噌汁、おひたし、大きなボウルにサラダが盛ってある。
 雄三は魚釣りが好きだった。小さい頃はよく、弟と一緒に連れて行ってもらったものだ。たくさんの野菜は、一日の栄養バランスを夜に取り戻させようとする母の配慮だった。大抵余ってしまうが、それは翌朝の朝食に出るか弁当の付け合わせになる。
 暖野の前に湯気の立つ味噌汁が置かれ、夕食が始まった。
 弟の修司は、点けっぱなしのテレビで野球中継を見ている。
 雄三はスポーツと言えばアウトドア派で、野球やサッカーにはあまり興味がない。その影響で暖野も山好きになり、ワンゲル部に入っている。
「もうすぐ、誕生日だな」
「え?」
 雄三の言葉に、暖野は顔を上げた。
「お前のだよ。もう、17になるのか……」
 そうか、もうすぐ誕生日なんだ――
 まるで他人事(ひとごと)のように、暖野は思った。
「どうだ、久しぶりに旅行でも行かないか?」
「旅行?」
 テレビを見ていた修司が雄三の方を見る。「やった! どこへ連れて行ってくれるのさ?」
「あんたは黙っていなさい」
 はしゃぐ修司に、珠恵が言う。
「旅行って。お父さん、忙しいんじゃないの?」
「ひと段落したんでね、しばらくは暇だ。もう休みは取ったんだが」
「そうね……」
 今年の誕生日は、まさに何年ぶりかの日曜日だった。振替休日も入れたら三連休になる。
「さっき、母さんとも相談したんだが、時期的にも温泉なんかいいと思うんだがな」
「うん」
 暖野は気のない返事をした。興味がなかったわけではない。昨日までの自分なら大喜びして行き先とか考えていただろう。だが、あまりにもタイミングが悪すぎた。
「どうしたんだ? 元気がないじゃないか。お前、温泉に行きたいって前から言っていただろう?」
「どうしたの? 暖野、顔色が悪いんじゃない?」
 珠恵が訊く。
「そう? 急だったから、ちょっとびっくりしただけ。だって家族旅行なんて久しぶりだし」
 暖野は無理に取り繕って笑って見せた。だが、母はごまかせなかったようだ。
「どこか、具合が悪いんじゃない?」
「……」
 暖野は箸を置いた。「ごめんなさい」
「ちょっと……。全然食べてないじゃないの」
「ごちそうさま。なんだか、あんまり食べたくないの」
 暖野は席を立った。「お風呂、沸いてる?」
「風邪だったら、入らない方が――」
 母の声を背に、暖野はリビングを出た。
「何か悪いことを言ったかな?」
 雄三が言う。
「そんなことは……」と、珠恵。
「難しい年頃だからな」
「そうじゃなくて、最近ずっと……」
 珠恵と雄三は二人して溜め息をついたのだった。
 後ろめたい気持ちに苛まれながら、暖野は部屋に戻った。いつも忙しい父がせっかく自分のために旅行を計画してくれたのに、あのような態度をとってしまったことを悔やんでいた。
 明日、謝ろう――
 暖野は浴室へと向かった。そのまま眠りに落ちたい気分ではあったが、汗をかいた体のまま寝ても、どうせ夜中に気持ち悪くなって目が覚めてしまうだろう。
 体を流し、湯船に身を沈めていると、再び眠気が襲ってくる。深く湯に浸かりながら、暖野は今日のことを思い返していた。
 あれは、何だったのだろう――