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天空の庭はいつも晴れている 第3章 雨季の兆し

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 メヴリナとは冷戦状態だ。彼女は最近では必要な時しか近寄ってこない。
 一度、何かの拍子に彼女が言ったのだ。
「どうせ、ろくでもない母親に育てられたんでしょうよ」
 ろくでもない母親……その言葉がルシャデールの胸に突き刺さる。
すぐさま、ルシャデールは彼女に飛びかかった。しばらくもみ合った後で、メヴリダのピンク色の頬には、爪でひっかかれた四本の赤い筋がひかれていた。それからルシャデールのそばには来なくなり、いくらか気が楽になった。
 他の使用人とはあまり関わることがなく、さほど気にならない。
 問題は養父トリスタンだった。
 どう考えていいのかわからない。顔を合わせれば笑顔で声をかけてくれる。戸惑っているのは彼も同じだろうが、それでもルシャデールのことを好きになってくれようとしているのは感じる。
(でも、そのうちきっと、がっかりするんだ。ひねくれ者で可愛げがないし、顔もみっともない……。人に好かれるような子じゃない。期待しちゃいけない)
 ルシャデールは薬草園で時々会う少年の顔を思い浮かべた。
(きっとあんな子だったら、トリスタンとの食事も話がはずむんだろう。その日あったこと珍しい蝶が飛んでたとか、きれいな石を見つけたとか、ありふれたことを宝物のように話すんだろうな)
 妙に気持ちが重苦しかった。アニスのことをよく知っているわけではないが、周りの人に好かれているのは間違いない。妬ましかった。といって、嫌いじゃない。邪気も打算もない、あの笑顔を向けられるのは正直うれしい。
「おい」
 気がつくと、カズックがじっと彼女を見ていた。
「おれの御神体はどうした?」
 ああ、と、ルシャデールは服のかくしに触れた。メヴリダに御神体を捨てられて以来、ルシャデールはそれをずっと持ち歩いていた。
「庭へ行こう、カズック。おまえの御神体を隠すところ探さなきゃ」
「隠すんじゃない、祀るんだ!」
 狐犬が吠えた。

 薬草園はあい変わらず花盛りだ。ジャスミン、生姜、タイム、オレガノ、タラゴン、ナスタチューム、バジルの香りがすがすがしい。名前も知らない草も多い。
 自然の野原のような雰囲気がルシャデールを和ませた。渡る風に髪がなびく。タンポポの綿毛が飛んでいく。それをカズックが追いかけて行った。
(今日は来ないのか……)
 そう思っていたら、ヒバの樹の影からアニスがひょいと顔を出した。
「御寮様、お散歩ですか?」
曇りのない瞳でまっすぐに彼女を見る。好奇心で彩りされた明るい笑みを浮かべて。
「うん」
 ルシャデールもつられて微笑う。
「それ何?」 
 ルシャデールは手提げ籠の中に入っている細長い草の葉を見てたずねた。
「石鹸草です」
 石鹸草はその名の通りせっけんとして使われる。洗濯係の召使に頼まれたのだろう。
 丸く光る樹霊が数個、アニスの周りを嬉しそうに飛び交っているのが見える。まるで、子犬が飼い主にじゃれつくようだ。
「木霊がまとわりついている」
「こだま?」
 アニスはきょろきょろと身の周りを見た。普通の人間には見えない。幽霊を見たことがある者はたまにいるが、木霊まで見える者はごくわずかだ。
「樹の精霊だよ。この庭はいっぱいいる。ほら、あそこにも」
 そう言ってルシャデールが指差したのはレンガ塀のそばだった。そこはシャボンの泡が噴き出すように光の玉が踊っていた。アニスは困ったような顔を振り向けた。
「どうしたの?」
「あの……内緒にしてもらえますか?」
「誰に? 何を?」
「御前様や庭師のバシル親方とかに」
 そして彼は光の玉の方へ歩きだし、振り返ってルシャデールを手招きした。
「あ……」
 小さな柳の木が植えられていた。周りのラベンダーの中で、目立たぬほどの若木だ。
「僕のザムルーズです」
「ザムルーズ?」
「子供が生まれると植える木です」
 カームニルでは聞いたことがなかった。ここフェルガナではそういう風習があるのだろうか。そう思ってすぐに、そんなもの植えるような親ではなかったと気がついた。
「僕が生まれた時に、父さんが柳の木を植えてくれたんです」
 しかし、土砂崩れで家族を失い、その時に彼のザムルーズもほとんど埋まってしまったことを彼は話した。わずかに泥から出ていた枝を持って来たのだという。
「柳は簡単に根がつきます。少し大きくなってから、こっそりここに植えさせてもらったんです」
 家族が楽しそうに食卓を囲んでいる風景が、ルシャデールの頭に浮かんだ。優しそうな母親と頼りがいのある父親……どちらもルシャデールには縁がなかった。
「御寮様はいいですね。トリスタン様のような方がお父様で」
「え……?」
 ルシャデールの顔に戸惑いが浮かぶが、すぐに皮肉めいた面持ちにとってかわる。
「向こうは迷惑してるよ、きっと。私みたいなのをしょうもない子を迎えてさ」
「しょうもない?」
「聞いてるんだろ、私がメヴリダとけんかしたりしてること」
「メヴリダさんは」アニスはちょっとあたりを見回した。「人の気持ちを考えてくれる人じゃないですから……」
 ルシャデールは少年を見た。ちょっと困ったように笑っている。
「根は悪い人じゃないかもしれないけど、何でも自分中心に進める人なので、その……他の人とうまくいかないことも多いんです」
 ルシャデールは頬を少し緩めた。侍女とのことでは、どうせ私が悪者にされてるんだ、とばかり彼女は思っていた。
「しょうもないなんてこと、ないです」
 ミントのすーっとした香りが風に乗って匂ってくる。
「でもトリスタンは、きっと私みたいなひねくれた子より、おまえみたいな子を養子にしたかったと思うよ」
「僕はユフェレンじゃないから無理です。でも、御前様は僕にも優しくして下さいます。具合が悪い時も治して下さいました」
 アニスは屋敷に来てからしばらく雨が降ると具合が悪くなったことを話した。
「ふーん。今年は大丈夫なの? もうすぐ雨季がくるけど」
「きっと大丈夫です」
 アニスは微笑んだが、ルシャデールには彼の心が陰ったのがわかった。きっとまだ不安なのだろう。それを隠して元気に振る舞おうとしている。自分にはない健気さが彼女を落ち着かなくさせた。
「ところで、この屋敷の敷地内でこれを安全に隠しておけるところないかな?」
ルシャデールはカズックの御神体を取り出して見せた。
「この前探していた石ですね。それは何ですか?」
「カズックの御神体だよ。一応こいつは神様だったからね。この御神体は祠にまつられていたんだ。今では拝んでくれる人もないけど。祠も雨漏りはするし、いつつぶれてもおかしくないくらいだった。それで、私がこっちへ来ることになった時、カズックも一緒に来たいって」
「来たいとは言ってないぞ。おれがついてないと、おまえはろくなことしでかさないだろう。お目付け役として来てやったんだ」
「ふん、ちっとはましな生活ができるとふんだからだろう」
アニスはそのやりとりを憧憬のこもった表情で見つめていた。そしておずおずと口を開く。
「あの……隠すところですよね?ドルメンはどうですか?」
「ドルメン?」
「卓状岩ってやつさ」
巨岩をテーブルのように組み合わせた、大昔の遺跡だと、カズックは説明した。