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天空の庭はいつも晴れている 第3章 雨季の兆し

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<章=第三章 雨季の兆し>

 開け放した窓から遠慮なしに入って来る風は湿気を帯びていた。今年も雨季が近づいている。
 窓辺に吊るされた青い薄絹の魔除けがはたはたと舞う。
 トリスタンがいる時、いつも食事は彼の部屋で一緒にとっていた。フェルガナでは大きな屋敷でも食事用の部屋はない。居室に小さな一人用の座卓を運ばせ、それを食卓とする。今日の夕食はトルハナにトマトの農夫風サラダ、ひき肉を詰めたピーマン、仔羊の煮物、白カビのついたチーズ、蜂蜜漬けのミルクプディングだ。
 スプーンとナイフはぴかぴかの銀製で、柄に葡萄の枝の装飾がされている。カームニルではそういうものを使う食事など縁がなかったが、フェルガナに来る旅の途中で、トリスタンは彼女の手を取って使い方を教えてくれた。
 もっとも、まだうまく使うことができず、スプーンに乗せた肉団子を床に落とすこともしばしばだ。
 トルハナに料理を包む食べ方もうまくいかない。かぶりついた時に、中のおかずがぼとっと落ちてしまう。ルシャデールは膝の上にこぼれたトマトソースを見て、軽くため息をついた。
「すぐに慣れるよ」
 トリスタンはくすりと笑って、立ち上がるとルシャデールの横に座った。
「トルハナは四分の一くらいに小さくして、料理は少なめに包むといいんだ。一口で食べれる大きさにする」
 話しながら、彼はトルハナを取って、手で四つに切ると仔羊の手早く煮物を包んで彼女に渡した。
「ありがとう……」ぼそっとつぶやき、ルシャデールは渡されたトルハナを口に入れた。ちょうどいい大きさだ。
「私もここへ来た最初の頃はうまくできなかったんだ」自分の席に戻り、トリスタンは彼女に微笑んだ。「私が育ったアトルファではムハンという、小麦粉を水でこねて小さい粒にしたものを食べていた。それに魚のスープをかけてね。トルハナのようなパンはほとんど見なかった」
 それを聞いて、ルシャデールはカズクシャンで占ったときのことを思い出した。人買いに連れて行かれるかのように泣き叫ぶ男の子。
「実の親はどうしてるの?」ルシャデールはたずねた。
「うん」
 トリスタンの顔が少し陰る。アトルファという小さな漁村で漁師をしていると、彼は言った。
「私の家は家族が多くてね。母は一番下の弟が生まれた時に亡くなっていたが、子供七人に祖母や病弱な叔父もいた。食べていくだけでもやっとだった。だから父は、先代が私を迎えに来た時、迷わず養子に出すと決めた」
「恨んでないの、親を?」
「仕方なかったと、今は思っているよ」
 侍従がティーポットのお茶を取り換えて来るよう、給仕に指示した。ルシャデールはちらりと侍従の方を見て、再びトリスタンの方を向いた。
「それからずっと、親とは会っていないの?」
「いや、父は何度かここへ来て……養父に金を無心している。それが徐々に、金額も大きくなっていってね。アビュー家にとっては、さしたる額ではなかったが、漁にも出ず、博打ばかりしているという噂も聞こえてきたんだ。それでも養父は、実の親から引き離してしまったという負い目があったからだろう、手ぶらで返すことはしなかった。……代替わりした時に、私が引導を渡した」
 彼は笑ったが、その緑の瞳は寂しげだった。ルシャデールはそれ以上聞くのをやめた。
「少しはここの生活に慣れたかい?」
 侍女とケンカばかりしていることも、耳に入っているのだろう。黙って養父を見る。
「もし……何か困ったことや、嫌なことがあるなら、遠慮なく言ってほしい。君が過ごしやすいようにする」
 ルシャデールはうなずいただけだった。メヴリダのことは気に入らないが、侍女を替えてほしいと言うのは気がひけた。
 これ以上、何を話せばいいか思いつかず、彼女は立ち上がった。
「もう終わりかい?」
「お腹が空かないんだ」
 『ごちそうさま』もなしに、ルシャデールは出て行った。

 給仕が彼女の皿を片付け始める。トリスタンは深く息をついた。そして独り言のようにつぶやく。
「……少しは慣れてくれたんだろうか」
「最初に来られた時の、ひどく緊張した面差しは見られなくなりました。ここの生活自体にはすぐに慣れると思います。焦らぬことです」
 給仕が退出したのを見計らって、デナンが答えた。トリスタンは物言いたげなまなざしを侍従に向けた。
「子供というのはもっと、元気で素直で明るいものだと思っていたんだが……下働きのアニサードのように」
「守ってくれる大人を持たず、一人で生きてこられたのです。御前様やアニサードとは違うと思います」
 トリスタンは考え深げにうなずいた。ルシャデールは何かたずねてもあまり言葉を返さない。彼には少女が何を考えて過ごしているのか、見当がつかなかった。
「御寮様は年齢以上に老成しておられます。いささか斜に構えた物言いをなさいますが、見た目以上に賢い方です。今は、御前様の真情を見据えているといったところでしょうか」
「私の真情?」
「自分が単に跡継ぎとして連れてこられただけなのか、あるいは、跡継ぎなど関係なく実の子のように考えてもらえるのか」
 デナンはそう言って、主人を見つめた。
 十月もの間、子を宿す女と違い、男は実の子でも親子という実感が薄い。「これがあなたの子よ」と言われれば、「そうなのか」とうなずくしかない。まして養子、それもこの間まで見ず知らずの他人だった子だ。もし、跡継ぎのことがなければ、引き取っていなかったのは確かだ。
 トリスタンは黙ったまま侍従を見た。デナンは主人に厳しい目を向ける。
「ごまかしはきかぬものとお考えください。御寮様はきわめて勘のいい方とお見受けしております」

 部屋に戻ったルシャデールはソファに座り込んだ。
「疲れたよ、カズック」
 彼女の足もとに寝そべる狐犬は目を閉じたままフンと鼻を鳴らす。
「親父と飯食うのは、さぞ話がはずんで楽しかろう。」
「嫌味な奴だ」
 アビュー屋敷に来て一週間が過ぎていた。デナンが考えているように、この屋敷での生活には慣れ始めていた。
 余計な負担をかけまいとするトリスタンの配慮だったのだろう、最初の四、五日は何もせずに過ごした。そして、昨日から勉強が始まっている。とりあえずは読み書きということで、隣のカシルク寺院からパクス・ラーサ師が家庭教師として毎日午前に来ることになっていた。
 ラーサ師は寺院の指導僧を務めており、若い僧たちに学問を教えている。その穏やかで忍耐強い人柄はアビュー家の使用人からも敬意を受けていた。
「ああいう人は苦手だ」
「あの坊さんの静かでゆったりした話し方は、妙に人を丸め込む力があるからな。授業をすっぽかそうと思ってもできないだろう?ま、だからこそおまえの家庭教師にしたんだろう。適当な人選だな」
 カズックはそう言うが、ルシャデールは比較的真面目に勉強していた。そのことを褒めたラーサ師に、「暇だから」と虚無的に言った挙句に、「くたばるまでの退屈しのぎの一つさ」などと言い放ったのだ。
 だが、パクス師は驚きもせずに、
「『くたばる』などというお言葉は御寮様には不適当かと存じます。『彼岸に赴く』あるいは『幽明の境を越える』『逝く』などの言い方がふさわしいかと思われます」と、平静に述べた。