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夢幻圓喬三七日

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七日目:平成24年11月28日 水曜日



 
「やがて御鉢が廻るといけない……」
 今日も目覚めと同時に師匠の声が聞こえてくる。もの凄く贅沢なことなんだと思う。僕にとってかけがえのない時間を師匠はもたらしてくれている。それに引き替え、僕は師匠に何か出来ているのだろうか。圓朝師匠、これでいいのですか? もっと出来ることがあるのではないかと、焦ってしまう。師匠に声をかけづらくなった。師匠はそんな僕の気持を察してくれたのか明るく声をかけてくれた
「おはよう。今日は高輪に本を拵えてもらいに行こう。それとお隣に器を返さなくちゃならないだろ」
「定食屋に行くときに返しましょう」
 お隣へは、今度彼女の手料理をお持ちしますと、宣戦布告付きのお礼をして器をお返しした。
 朝食から戻って高輪への支度をしていると、美代ちゃんからメールだ。

……部長が気が狂ったように大騒ぎをしています。柴田さんが持っていた古銭は大変に価値のある物らしいです。この目で確かめて買い取りたいから、お昼にでも会社へ来て戴きたい。って言ってます。どうする?……
 ピースサインの絵文字付きだ。ここは僕が頑張らなくてはと師匠に要点を説明して返信する
 
……他にも買いたいって人がいるけど、最優先します。今日のお昼でもご一緒して話をしませんか? って伝えて。僕のことは友達、柴田さんのことは僕の大学時代の大先輩って事にしておいて……

……部長が大喜びしています。お昼はこちらでお弁当を用意しますから、ご心配なく。今なら部長は何でも言うことを聞いてくれそうです……

……会社の忘年会で柴田さんの落語会出来ないかな? 素人じゃ心配だろうからセミプロって事でお願いできない?……

……話ておきます。じゃお昼にね……

「弱みに付け込むみたいで気が進まないが、落語会のために腹を括(くくる)るか」
「そうですよ。全ては落語のためですよ」
「言うね。さすが天狗連だ。じゃ六文錢を持って行った方がいいな。何かに包んで持って行こう」

 先に高輪に向かうことにする。道中では彼女の会社へ行ってからのことを師匠と打合せた。
 墨芯堂では今日もご主人が頑固そうに店番をしていた。
「持ってきたよ。適当に綴ってもらおうかな」
 師匠は墨芯堂の紙袋から取り出してご主人に見せた。ご主人は書かれた用紙を何枚か捲って、目をむいて驚いた声を出した
「あんた味のある文字を書くね。今時珍しいな。どこで習ったね」
「なに自己流だよ。それよりちょいと上方の表紙にしたいんだが、良いのがあるかい」
「これだけの物を見せられちゃ。黙っていられないな。俺に任せてもらおうか」奥の作業場にいる職人さんに声をかける「おい! 『こうき』で綴じるから支度しとけ!」
 師匠が書いた用紙を職人さんに渡し、シューケースの下の引き出しを開けて、ごそごそと探し物をしている。
「あった、あった、これなら中身に負けないだろ」
 ご主人が手にした美しい青地に金模様の布を見て僕は思わず声が出た。
「立派ですが高そうですね」
「爺さんが取っといたやつで売りもんじゃないから、金は要らないよ」
 そう言うと奥にまた声を掛ける
「表はこれで、出来上りは『しほうちつ』だぞ」
 全くわからない。師匠も同様だ。
「ロハじゃ申し訳ないな。払うよ」
「いやいいよ、その代わりといちゃあ悪いんだが、何か一筆(ひとふで)書いてくれないか?」
 そう言ってご主人は色紙を差し出して、墨をすり始めた。師匠は照れ臭そうにしている
「あたしゃ学がないから、偉そうなことは書けないよ」
「俺が見て楽しむんだから、なんでもいいよ。あんたの字なら『いろは』でもいいよ」
 師匠も覚悟を決めたようだ。
 少し考えてから
「筆の細いのを貸してもらおうか」
 色紙を裏返して書き始めた

「引札(ひきふだ)みたいになっちまったが、これで勘弁してもらおうか」

***************
* 根は高輪と云う勿れ
*  ここに見せたる心意気

* 墨には置けぬ
* 芯にこそ
* 堂々と置け
***************

 僕にはこの色紙を評価できるほどの知識はないが、ご主人の嬉しそうな顔がその出来を物語っていた
「店の宝にさせてもらうよ」
 そこへちょうど職人さんが出来上がりを持ってきた。ご主人は職人さんにも師匠の色紙を自慢げに見せて、読み上げた。
「値は高輪と云う勿れ ここに見世たる心意気 墨には置けぬ 芯にこそ 堂々と置け。ちゃんとうちの墨芯堂が入ってるだろ。大したもんだ」

 出来上がった本はテレビの鑑定番組にそのまま出してもおかしくない出来だ。ご主人が説明してくれる。
「外が四方帙(しほうちつ)といって、中の本を優しく守ってくれるよ。西陣の、金糸唐草金襴緞子(きんしからくさきんらんどんす)だ。本は表が京友禅の、青に金の蓮華唐草(れんげからくさ)で康煕(こうき)綴じだ。どこに出しても恥ずかしくはないよ」
 師匠はその四方帙から、自分で書き上げた本を取り出して、京友禅の表紙を捲った。
 そこには、

***************
* 子別れ

*  二代 三遊亭圓馬
*  初代 橘ノ圓
*        口伝
***************

 と書いてあった。
 師匠は本の出来映えに感動しているように見える。
「こいつあ凄えな。前座からいきなり大看板になったみたいだ。親父さんに頼んで良かったよ」
「なあに、中身に合わせただけだよ。それと、こいつは俺が手慰(てなぐさ)みに拵えた祝儀袋なんだが、使ってやってくれ」
 そう言ってご主人はなん枚かのポチ袋を広げた。表には歌舞伎の隈取(くまどり)が描かれている。墨・紅・水の三色で描かれたそれは、僕の目にも見事な物に見える。
「水色の隈取なんてあるんですね」
「白群(びゃくぐん)だよ。群青(ぐんじょう)を細かく砕いて白っぽくするんだよ」
 師匠もたいそう喜んでいる。
「いいねえ、助六に狐忠信(きつねただのぶ)、おっ景清(かげきよ)もあるぞ。こりゃいいが、これでご祝儀を渡すのはもったいないな」
「好きに使ってくれて良いよ。無くなったら、やるからまたおいでよ」
 結局、墨芯堂のご主人は代金を一切受け取らなかった。

 彼女の会社への移動中に、本のことで師匠に確かめておきたいことがあった。
「この子別れの本はどうするんですか?」
「これか? 圓馬さんへの挨拶の品だよ」
「圓馬さんて、こないだの新宿末廣亭の圓馬さんですか?」
「そうだよ。迷惑をかけちまったからな。これを渡して謝っときたいんだ」
「貰ってくれますかね」
 それよりも会ってくれるかの方が心配だ。
「そん時は、その辺の前座にでもくれちまうよ」
「それはダメでしょう。僕に下さい。それと子別れの口伝(くでん)ってなんですか?」
「圓馬さんと圓(まどか)の子別れに仕草や間なんかを書き加えた物だよ。稽古用の床本だな。二人とも得意にしてたからな」
「圓喬師匠の仕草や間も含まれているんですか?」
「いや、あたしは稽古はしたけど高座にかけたことはないよ」
「良い噺だと思いますが、なんで高座にかけなかったんですか?」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢