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夢幻圓喬三七日

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「元々の子別れは初代の柳枝(りゅうし)が拵えたんだが、後に圓朝師匠が手を加えて『妹背(いもせ)の鍄(かすがい)』っていう題で女房だけが出て行く子別れを拵えたんだよ」
「女の子別れという噺ですね、題名だけですが聞いたことがあります」
「それが、理に走りすぎていて講談みたいになっちまったんだよ。元がふんわりと仕上がっている噺だから、さすがの圓朝師匠もやりそこなってな。それにサゲも失敗(しくじ)っているしね」
「女の子別れのサゲってどんなのですか?」
「子は鎹(かすがい)と同じだよ。ただ母親じゃなくて親父が子どもを玄翁(げんのう)で叩こうとするんだ」
「それが、失敗っているんですか?」
「ああ、心を入れ替えて大工仕事に励む父親が、自分の商売道具で子どもを叩こうとするか? 父親が子どもを叩くのは何時だって拳固だよ。だからあたしは高座にかけなかったんだよ」
「かければ良かったじゃないですか」
「出来るかよ。自分の師匠の拵えたのがあるのに柳枝のは出来ないだろ。圓朝師匠のはあたしがいい噺とは思ってないんだから、お客には聴かせられないよ。だから高座へはかけなかったんだ」
 師匠思いでストイックな考え方に憧れる。僕はいつかこの人に追いつけるときが来るのだろうか。

 美代ちゃんの会社ではすぐさま応接室に案内され、美代ちゃんが部長さんと一緒に現れた。自己紹介をして席に着くと、お茶とお弁当が運ばれてきた。何ていったかなこのお弁当? そうだ松花堂(しょうかどう)弁当だ。部長さんのどうぞの言葉で、蓋を取ると師匠は、
「美味しそうですね。弁当箱の中に器が入っていて洒落てますね」
 初めて見るであろう松花堂弁当の感想は、ぎりぎりセーフだろう。大丈夫部長さんには勘づかれていない。
 食事中は当たり障りのない話題が、ぽつりぽつりと交わされた。
 食事がすんで、テーブルの上が片付けられると、部長さんが身を乗り出しながら切り出した
「一文銭を見せていただいて、よろしいですか?」
 師匠がティッシュに包まれた六枚の一文銭を取り出した。部長さんは両手で受け取り包みを開いた。ルーペを取り出して一枚ずつ確認している。何枚かは慎重に手を振るわせて確かめている。やがて静かに口を開いた
「確かに珍しい物が二枚あります。これを本当にお譲りいただけるのでしょうか?」
「あたしなんかが持っているよりも、価値のわかる方が持っていた方がいいでしょう」
「それで、いくらでお譲りいただけますか?」
「なに、いくらでも……」
 ダメです。ここからは僕の出番です。会話に割り込む。
「柴田さんは現在は落語のセミプロとして活躍しています。御社の忘年会でその落語が披露できれば、その古銭は格安でお譲りしたいとお考えです」
「弊社の忘年会で落語ですか? 困ったなぁ。ご承知かどうか、弊社の忘年会は試食もかねて、取り扱っている商品を飲食するというものでして、外部の方をお呼びして何か講話をいただく、というようなことはしていないんですよ。しかも落語でしょ」
「柴田さんの落語は面白いですよ」
 ちょっと、美代ちゃん、あれは落語じゃなくて小咄です。部長さんはしぶしぶ、
「そうですか。私は落語は詳しくはないのですが、十五分くらいでお話しいただけるのでしたら、忘年会の余興として、何とか社長に掛け合ってみます。それが私に出来る精一杯です」
 十五分で満足な噺が出来るのかなと思ったが、今はすがるしかない。
「お願いします。柴田さんの落語は、決してご期待を裏切ることはありませんから」
「幸い社長は落語好きですから、十五分くらいであれば話を持って行きやすいです。これから社長に会って、説明しましょう」
 部長さんはあまり気が進まない様子で応接室から出て行った。美代ちゃんがお茶を替えてくれる。
「柴田さん、十五分で何かできますか」
「誰にいってるんだい。どんな噺でも十五分あれば収めてみせるよ」
 まあ、そうなんですが、聴く方としてはじっくり聴きたいのです。
 応接室の電話が鳴った。美代ちゃんが受話器を取り、何事か真剣な表情で話している。こういう顔も良いもんだな……、オッと僕はなにを考えているんだ。送話口を手で押さえて師匠に顔を向ける。
「柴田さん、忘年会ではどんな噺を予定されていますかって、社長がたずねてます」
「三遊亭圓朝作の福禄寿(ふくろくじゅ)を考えております」
 美代ちゃんが演目を伝えて受話器を置いた。
「福禄寿ですか。珍しい噺ですね」
「まさか、こういう会社で酢豆腐(すどうふ)を演るわけにもいかないからね」
 師匠の酢豆腐を聴いてみたい気もするが、さすがに食品会社の忘年会では腐った豆腐並みにまずい。

***************
* なんか酸っぱい匂いがする、
* あ〜あ、黄色くなっちゃてる、
* 随分毛が生えた、
* シャツの裏みてえ

* 落語 酢豆腐
* (三遊亭圓生) より
***************

 そこへ部長さんが元気に戻ってきた。先ほどこの応接室から出て行った時とは大違いだ。
「社長が乗り気です。福禄寿と聞いてたいそう喜んでいます」
「あたしも精一杯努めさせていただきます」
「それで、講演時間ですが、特に時間制限は設けずに、一席というんですか? 最初から最後までお話しいただきたいそうです」
「それは、ありがとうございます。やり甲斐があります」
 僕はこの思わぬ展開に心の中で、まだ見ぬ社長さんに感謝した。
「それから、講演料ですが、5万円でいかがでしょうか?」
 ご祝儀が出るのか、しかも5万円も!
「いくらでも結構です。噺が出来るだけでも感謝してますから」
「当日は、源泉徴収と消費税を含めた領収書をこちらで用意いたしますので、ご印鑑をお持ち下さい」
 さすがに総務部長だ、手馴れている。師匠の印鑑を用意しなくては、どこで買おうかな。などと考えていると、部長さんはここからが肝心、とばかりに姿勢を正して話してかけてきた。
「こちらの古銭ですが、いくらでお分けいただけるか、お聞かせ願えませんでしょうか」
 非常に低姿勢です。きっと社長さんのご意向と古銭の威力です。
「なにね、あたしが持っていてもしょうがないですから、いくらでも……って言うと話が進まないか。こうしましょう、落語会ではお世話になりますから、あなたがこの値段ならっていうお代の半分で良いですよ」
「えっ、それで本当によろしいのですか? 実は六枚の中でもこの二枚、貞觀永寳(じょうがんえいほう)と長年大寳(ちょうねんたいほう)は実に珍しい物でして、それにここまでの美品は見たことがありません。全部で五十万までは出そうと思っていました」
 ひょえ〜、千両みかんならぬ五十万古銭だ。区切りを間違えたら放送禁止用語です。美代ちゃんも驚いている。
「部長、そんなにお金持ってるんですか〜」
 驚いたのはそこかよ!
「来週ボーナスだから、来週には何とか……」
「ではこのお銭(わし)はお渡ししておきましょう。お代はいつでも結構ですから、そちらのお嬢さんに渡してくれればいいですよ」
「ありがとうございます。では、二十五万円は来週末には清水君に渡しますので、ご確認下さい」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢